沖縄移住が転機に 手に入れた「普通の暮らし」 駿羽君と一緒に(2)


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てぃんさぐの会のキャンプで生まれて初めてプールに入った湯地駿羽君(中央)=2009年8月、名護市

 生後1カ月半で人工呼吸器を装着し、生まれてからずっと病院での暮らしを余儀なくされていた湯地駿羽(ゆじはやと)君。父啓幸さんと母三代子さんは「家に戻って家族3人で暮らしたい」と願っていた。

 鹿児島で入院していた2年間、三代子さんは駿羽君にずっと付き添い、生活空間は病室の中。勤務先が宮崎市内だった啓幸さんは、毎週末、車で鹿児島に駆けつけ、夜は車の中で寝るという日々を過ごしていた。

 家族3人で暮らすため、宮崎市内の家から近い病院への転院を望んだが、体制がないことを理由に断られていた。

 転機は2008年。啓幸さんの沖縄転勤だった。沖縄県立南部医療センター・こども医療センターへの転院もすんなり決まり家族3人で沖縄へ引っ越した。転院と同時に在宅療養移行への取り組みも始まり、「家族3人で暮らしたい」という一家の願いはトントン拍子にかなえられた。

 痰(たん)の吸引など医療的ケアを親がやらないといけないという負担はあるが、訪問看護と介護ヘルパーを利用しながら「普通の暮らし」を手に入れていった。

 さらに、駿羽君は体験の幅が広がっていく。県内では小児科医や看護師など医療関係者による小児在宅医療基金「てぃんさぐの会」が、在宅療養をしている子どもやその家族の生活の質を上げるための支援をしている。会は毎年夏にキャンプを開催し、障がいのある子どもやその家族に経験させている。

◇参考記事
家族みんな「主人公」に 病児・重度障がい児サマーキャンプ

 ここで駿羽君もプールや海に入ったり、親子で飛行機に乗り宮古島に行ったり、体験を積み重ねてきた。

 駿羽君の主治医、宮城雅也医師は両親に「呼吸器を付けている、障がいがある、は子どもには関係ない。子どもの成長には紫外線を浴びたり、光や風を感じたりすることが必要だから出しなさい」と話した。もちろん、体調によっては無理なことはある。でも体調が安定していれば後は、どうすればできるのかの話だ。医療者の工夫と情熱によって、駿羽君は一歩一歩前に進んでいった。
(玉城江梨子)