亡き学徒へ思い届け  川崎さん「ひめゆり挽歌」披露  母の歌詞に曲付ける


この記事を書いた人 大森 茂夫
母の歌詞に曲を付けてひめゆり学徒隊への鎮魂歌「ひめゆり挽歌」を作成し、同窓生の前で初披露した川崎智子さん=1日、那覇市安里のひめゆりピースホール

 いざやうたえ、いのちのさんか、いまこそまえ、みやびのまいを―。読谷村でピアノ教室を営む川崎智子さん(66)が、亡き母、熊谷千恵さんの歌詞に曲を付け、ひめゆり学徒隊への鎮魂歌「ひめゆり挽歌(ばんか)」を作曲した。1日、「ひめゆり同窓会」の同窓生の前で初めて鎮魂歌を披露した。東京都に生まれながら学徒隊と同年代で思いを寄せていた千恵さん。川崎さんは母の思いを歌に乗せ、若くして亡くなった学徒たちにささげた。

 戦時中に青春時代を送った千恵さんは、当時憧れていた男性を戦争で亡くした。特攻隊に所属していた男性は沖縄周辺の海域で亡くなったと聞いた。千恵さんは戦地にいる男性から届いた手紙を亡くなる間際まで大事にしていた。川崎さんは「(手紙の)言葉の中に少しでも(千恵さんへの)気持ちがないかと読み返していたと思う」と振り返る。

 結婚し、沖縄に住み始めた川崎さんを訪れるようになった千恵さんは、自身と同年代のひめゆり学徒隊に思いをはせていた。2005年、川崎さんは部屋の壁に貼ってあったひめゆり学徒隊を思って書いた千恵さんの詞を見つけた。「舞う」「歌え」との言葉が出てくる歌詞に、川崎さんは「楽しみもなく、言いたいことも言えずに亡くなった悔しさを代弁して、声を上げたかったのかもしれない」と読み解く。詞を見つけた翌年に川崎さんが曲を付けた。歌を聴いた千恵さんはとても喜んでいたという。

 川崎さんは1日に開かれた特定非営利活動法人琉・動・体主催の「被爆ピアノ・平和コンサート」に出演し、ひめゆり挽歌を披露した。同窓生の糸嶺春子さん(90)は「とてもよかった。こんなにいいことはない」と喜んだ。8年前に86歳で亡くなった千恵さんの代わりに歌を届けた川崎さんは「母の気持ちをお友達への“伝言”のように伝えることができた」と笑顔を見せた。

 (田吹遥子)