「地獄のようだった」 宮森小米軍機 墜落事故 取材した元記者ら座談会


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取材した石川・宮森小墜落事故について語る元記者ら=16日、うるま市の石川中央公民館

 【うるま】1959年、うるま市(旧石川市)の住宅地と宮森小学校に米軍ジェットが墜落し18人の死者を出した石川・宮森小ジェット機墜落事故を語り継ぐ「石川・宮森630会」(久高政治会長)は16日、当時取材に当たった新聞記者ら6人を招いた記者座談会をうるま市の石川中央公民館で開いた。現場を取材した琉球新報の元記者の森口豁さん(80)と上原直彦さん(79)、沖縄タイムスの元記者の池原善福さん(84)が、事故の状況と悲惨な現場について語った。

 池原さんは現場について「火災というより爆撃を受けたような状況」と表現し、「ひさしがえぐられた校舎や、けがをした児童の姿を見ながら取材をしていた」と振り返った。

 上原さんは遺体を自分の子と認められず病院を駆け回って探す遺族の姿を目撃したという。「地獄のような状況の中、必死でシャッターを切った」と話した。

 森口さんは事故を本土でどう報じたかについて言及。「大手紙はまるで海外のニュースのように報じていた。沖縄はメディアの中でも外国扱いだった」と評した。

 これまで「不可抗力」とされていた事故原因を整備不良などが原因であるとした米資料を入手し報じた元琉球朝日放送のディレクターでフリージャーナリストの土江真樹子さんは「事故の後も苦しんでいる中で取材に応じ語ってくれた遺族の人には本当に感謝している」と語った。