「事実の解明願う」 宮森小ジェット機事故遺族ら、謝罪なき姿勢怒り


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 沖縄県の宮森小ジェット機墜落事故の発生から約1年後に、米軍が負傷者の傷や補償に対する心境などを調査していたことについて、米公文書を入手した石川・宮森630会の久高政治会長(70)は、県民の反米感情の増幅を恐れた米軍が「なるべく早く補償問題を妥結し、事態の収束を狙っていた可能性が高い」と推測する。

 米軍が聞き取り調査を実施した1960年5月は県祖国復帰協議会の結成直後で、市民の反米意識も高まっていた。久高さんによると復帰運動に参加する多くの団体が墜落事故賠償責任促進協議会に賛同し声を上げたため、米軍は一刻も早く事態を収束する必要に迫られていたと分析する。

 久高さんは当初、負傷者との賠償問題はもっと円滑に解決できると思っていたが想定外に難航したと振り返り、「本来なら亡くなった方々や負傷者だけでなく、精神的トラウマを負った全ての人にも補償すべきだった」と語った。

 遺族会の上間義盛代表(75)は、「事故後、米軍から遺族に十分な謝罪や補償は無かったと記憶している」と振り返る。リポートを通して米軍が、負傷者の多くが事故後も苦しんでいたことを把握していたことに対して「人の命や心の傷が軽視されることは許されない」と語気を強めた。

 事故被害者で祖母を亡くした金城清正さん(70)は事故の記憶が風化されないよう、13人の孫に事故を語り継いでいる。事故から59年たっても全容は分からない状況を憂いつつ「被害者のためにも、今後も一つでも多くの事実が解明されることを願っている」と話した。