無言の帰宅に悲しみ 弔問客続々「安らかに」 翁長知事死去


社会
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翁長雄志さんの遺体を乗せた車両が自宅付近を通過。助手席は妻の樹子さん=8日午後11時前、那覇市大道

 8日午後亡くなった県知事の翁長雄志さんは、同日午後11時前、病院から那覇市大道の自宅へ無言の帰宅をした。自宅には前副知事の浦崎唯昭さん(74)らゆかりのある人や親族らが、続々と弔問に駆け付けた。病を患いながら名護市辺野古の新基地建設に反対し、政府と対峙(たいじ)した翁長さんに感謝や惜しむ声が上がった。

 知事の遺体を乗せた車両には、妻の樹子さんが同乗した。しっかりとした足取りで、弔問客に一礼した後、鼻をすすりながら無言の帰宅を見守った。

 かつての自民党県連の重鎮で、2014年12月の翁長さんの知事就任とともに副知事に就くなど、長年、苦楽をともにした浦崎さんは「痛恨の極みだ」と声を震わせ「勇敢で尊敬に値する政治家だった。安らかにお眠りくださいと声を掛けた」と話した。

 8日に知事選について県選出の野党国会議員でつくる「うりずんの会」で話し合ったばかりだという糸数慶子参院議員(70)は自宅に駆け付け「ショックで言葉が出ない。ここまで知事を追い込んだのは、民意を一顧だにしない日本政府だ」と話した。

妻の樹子さん(左端)らが見守る中、翁長雄志さんの遺体が車から自宅へ運び込まれる=8日午後11時前、那覇市大道

 翁長さんの入院先の浦添総合病院にも多くの関係者や市民、報道陣が詰め掛けた。那覇市の城間幹子市長は、記者団の問い掛けには応じず無言で病院を後にした。乗り込んだ車の中ではハンカチで涙をぬぐっていた。

 亡くなった翁長さんと対面した赤嶺政賢衆議院議員は病院の前で取材に応じ「くちびるを結んで、いつもの毅然(きぜん)とした表情だった」と話した。

 翁長さんは2日前、妻の樹子さんに「苦しい」と漏らしたという。ただ、最後まで取り乱すことはなかったといい「当選以来、命懸けの闘いだったと思うが、家族には理性的に振る舞ってきた様子が、家族の話からよく分かった」と人柄をしのんだ。

 病院には訃報を聞いて市民も集まった。翁長さんの遺体が黒のワンボックスカーに乗せられると、口々に「知事」「ありがとう」「さようなら」と声を掛けた。「ありがとう」と声を掛けた那覇市の徳森りまさん(31)は「翁長さんは長い政治家人生の中で基地問題に命懸けで取り組んできた。そのことに対する感謝を伝えかった」と語った。

 翁長さんの遺体が病院から出た直後の午後10時半ごろ、オスプレイが爆音を鳴らしながら上空を通過していった。