心つかむ言葉 次々と 鋭いフレーズは自ら考えた翁長雄志さん 「中学生になったら那覇市長目指す」と小学生で宣言


社会
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 1962年末、大道小学校6年で生徒会長だった翁長雄志さんは、クラスメートの前でこう宣言した。「中学生になったら那覇市長を目指します」。中学校に入った後の目標を語る場で、政治家になるという将来の夢を打ち上げた。

 父の助静さん、兄の助裕さんも政治家で、立法院や県議選、那覇市長選挙などに出馬した政治家一家。幼い頃から政治の話題が身近にあった。だが、小学生時代、保守系の政治家だった父が出馬した選挙で、労働組合に所属する教員のおばが革新系の相手候補を応援するシュプレヒコールを上げているのを目撃した。父の相手候補の当選を受け、担任が職員室で万歳三唱をしていたところにも遭遇した。

 大道小、真和志中で翁長さんと同級生だった比嘉康夫さん(67)は小学生時代の翁長さんの「宣言」を鮮明に覚えている。担任の万歳三唱について「よほど悔しかったのだろう」と、保革の対立で何度も複雑な思いを味わった翁長さんの心情に思いを巡らせた。

 政治家になった後は、翁長さんの名前から名付けられた「雄志会(ゆうしかい)」という模合が真和志中の同級生、那覇高の同級生たちで、いくつも組織され、知事選まで支え続けていた。翁長さんは3月、真和志中学校同級生の模合に参加した。模合に参加した比嘉さんによると、翁長さんは模合の場で県警OBの同級生に対し「辺野古での市民への接し方は露骨だ。お年寄りに対して失礼じゃないか」などとまくし立てる場面もあったという。

 那覇市長選や知事選で翁長さんの選挙事務所の広報担当を何度も務めてきた又吉民人さん(72)は「頑固ではあるが、非常に幅があった」と人柄を振り返る。県民の心を巧みに捉える翁長さんの言葉に舌を巻く。「なぜウチナーンチュは自分で持ってきたわけでもない基地を挟み、いがみ合うのか。誰かが上から見て笑っていないか」。2014年の知事選で、翁長さんは基地問題で県民が団結して政府へ負担軽減を訴える必要性を訴えた。「イデオロギーよりアイデンティティー」「誇りある豊かさを」などあいさつでのフレーズも自らが考えた。

 15年の県民大会では、基地負担を沖縄へ押し付ける日本政府に対し、うちなーぐちで「うちなーんちゅ、うしぇーてー、ないびらんどー」と気勢を上げた。全国紙を含む新聞記者に言葉の意味を聞かれると「沖縄人をないがしろにしてはいけませんよ」と説明した。

 又吉さんは「『なめるなよ』『ばかにするなよ』などもっと激しく訳すこともできる。しかし、(翁長さんは)国民に理解してもらわないといけないと考えたのだろう」と指摘する。県民の心を揺さぶる言葉を使うと同時に、県外へ効果的に発信するためにどう表現するのかにも気を配った。新基地建設断念を日本政府に訴えるため、保革を超えて県民の心を一つにするには、言葉が持つ力を誰よりも分かっていた政治家だった。
 (池田哲平、古堅一樹)

友人の店舗の開店時にお祝いに駆けつけた翁長雄志さん(右から2人目)と幼なじみの比嘉康夫さん(右)=1980年代(比嘉康夫さん提供)