沖縄の痛み 思い続け 新藤兼人映画祭 吉永、「平和」語る 知事死去触れ「戦後、未来へ」


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自身の出演作や沖縄、平和への思いを語る吉永小百合=10日、東京・池袋の新文芸坐(御手洗志帆氏提供)

 第7回新藤兼人平和映画祭「平和を祈る女性たち~映画が伝えた原爆・引揚げ~」の2日目が東京・池袋の新文芸坐で10日、開催され、トークイベントに吉永小百合(73)が登壇した。吉永は「(8日に)翁長雄志知事が亡くなった。私たちは沖縄の犠牲があり、こんなに繁栄し、何不自由なく生活ができるようになっている気がする」と沖縄に思いを寄せた。

 映画祭では、吉永が出演した「北の桜守」(2018年公開)と「キューポラのある街」(1962年公開)を上映した。吉永は「北の桜守」でソ連軍が迫る南樺太から網走へと逃げ延びた女性を演じた。イベントでは、戦争について伝えたいことや「平成最後の夏」に思うことを聞かれる中で、翁長氏の死と沖縄への思いに言及した。

 1968年に23歳で出演した「あゝひめゆりの塔」にも触れ「当時、自分を見失うほどに打ち込んだ」と振り返った。さらに「ひめゆり学徒隊で実際に戦争を経験した方が、あまりのことで涙も出なかったと語っていた。(映画で涙を流すなどした表現は)間違いだったかと思い続けていた」と話し「だから沖縄へ遊びには行けない。申し訳ないという思いがあった」と明かした。

 ことしの6月末にようやく、仕事ではなく「自分の旅行」として沖縄を訪れることができたという。そこで、ひめゆりの塔や米軍基地、辺野古の海などを見て回った。「(辺野古は)言葉を失うくらい美しい海だった。(一方で)米軍普天間飛行場は小学校などが隣接し、とても危険な場所だった」「沖縄の人たちの痛みを私たちはずっとずっと分かってなくてはいけないと思った」

 最後に「戦後を未来まで続かせなくてはいけない。口に出して、みんなで平和をつくっていかなくてはならない。黙って平和だと思うのではなく、一人一人が考えて発言して行動しなくてはならないと思う」と締めくくった。

 同映画祭は、代表の御手洗志帆氏が個人で企画し、2012年から始まった。5、10、11日の3日間開催され、5日は俳優の北村総一朗をゲストに新藤監督の「ふくろう」を上映した。11日は山田洋次監督をゲストに同監督の「母と暮せば」と新藤監督の「さくら隊散る」を上映した。