「平和の尊さ知っていた」親戚・安子さん 翁長雄志さんの死悼む


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翁長雄志さんの遺影を抱えて退場する妻の樹子さんを見送る安子さん(右)=9日、那覇市の県立武道館

 泣きっぱなしの3時間だった。翁長雄志さんの親戚で、沖縄戦体験者の翁長安子さん(88)は県民葬で、あふれる涙を何度も拭った。幼少期からかわいがってきた翁長さんの死を「自分の子を失ったようだ」と悼む。閉式後は憔悴(しょうすい)した様子で「雄志は命の尊さを本当によく分かっていた。平和のため、県民を見守っていてほしい」と声を振り絞った。

 沖縄戦中、県立第一高等女学校の生徒だった安子さんは看護要員として戦場に動員された。戦闘が激しくなってからは本島南部に撤退し、糸満市で米軍に捕らえられた。終戦後は遺骨収集に励んだ。翁長さんの父・助静さんは、当時の真和志村長らと共に遺骨を集め糸満市米須に「魂魄(こんぱく)の塔」を建てた。翁長さんは選挙告示日の早朝に魂魄の塔を訪れ、手を合わせるのが恒例だった。「雄志は私の体験もよく知っているし、祖父や叔母を沖縄戦で亡くしている。平和への思いは強かった」と振り返る。

 知事公舎のガジュマル付近の石板には「幹は天にも達し、枝は国中に広がり、根は地の底に果てしなく張り巡らされている」との琉歌が刻まれている。玉城デニー知事は式辞で翁長さんがこの琉歌を好んでいたと紹介した。安子さんは「まさに雄志の生き方そのもの。県民のためによく頑張ったと思う」としのんだ。

 県民葬には約3千人が参列し、一般献花は1時間近くに及んだ。安子さんはその様子を見詰め、しきりに目元を押さえた。「これだけ多くの県民があなたを慕っているよ」と心の中で声を掛けたという。

 全ての献花が終わり、遺影を抱えて退場する翁長さんの妻・樹子さんと目が合うと、励ますように大きくうなずいた。樹子さんらが会場を後にするまで、名残惜しそうに見詰めた。