B52、嘉手納墜落50年 基地負担解消されず


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B52撤去を求める県民大会=1969年2月4日、嘉手納

 1968年、米軍嘉手納基地でB52戦略爆撃機が離陸に失敗、墜落した事故から19日で50年となった。住民ら16人が重軽傷を負い、周辺の住宅や学校など365件に窓ガラスが割れるなどの被害を出した事故は、大きな衝撃を与えた。しかし、今なお米軍機絡みの事故は絶えず、米軍基地による沖縄の負担は解消されていない。

 B52は65年7月28日、台風避難を理由に嘉手納基地に降り立った。ベトナム戦争では広範囲を破壊するじゅうたん爆撃を行い、ベトナム人は「死の鳥」と呼び恐れた。当時、沖縄の米軍基地の役割が補給から出撃地に変化していた。嘉手納基地がB52の出撃拠点となったのは、米国の財政上の理由と日本政府の理解であることが米国防省の覚書「嘉手納のB52常駐」で明らかになっている。

 嘉手納基地には、68年2月5日からB52が常駐を開始。嘉手納村(当時)の奥間敏雄村長は同14日、即時撤去を要請したが、米軍司令官は一蹴した。県内で撤去を求める声が高まったことなどを受け、70年10月6日に全機が撤退したが、復帰後だけも台風避難などの名目で嘉手納基地に累計440機が飛来している。