「祝女」だった母、記憶の中に 最後のノロの娘・新城さん 屋敷跡の保存願う


社会
この記事を書いた人 Avatar photo 与那嶺 明彦
「ノロ殿内」での生活を振り返る新城初子さん

 沖縄県那覇市首里末吉町(旧末吉村)の末吉公園でノロ(祝女)の屋敷「ノロ殿内(どぅんち)」跡が発掘された件で、同村最後のノロ新城カメさん(享年99)の娘で殿内で生まれ育った新城初子さん(96)=那覇市=が本紙取材に応じ、当時の暮らしぶりを語った。ノロは世襲制で代々家系で受け継がれるが、末吉ノロは、カメさんの代で途絶えた。初子さんは「ノロは琉球王府時代から続く沖縄の大切な信仰文化」とし、史実を後世へ継承するためにも殿内跡の保存を求めている。

 殿内跡は末吉公園の整備に伴い、那覇市が2015年から末吉村跡の発掘調査を進める中で確認された。記録保存され、撤去される予定となっている。

末吉宮本殿の復元に際し、安全を祈願するノロの新城カメさん(手前右から2人目)=1972年、那覇市首里(新城忠さん提供)

 ノロは琉球王府による任命制で各集落の政治的役割も担っていたが、1879年の沖縄県設置により制度は崩壊した。現在、殿内が引き継がれ集落の祭祀(さいし)に携わっている地域は少なく、実態を記録した関連資料もほとんど残っていない。

 「16世紀ごろに造られたとみられる殿内はかやぶき屋根だった。家には井戸がなく、毎日近くのガー(湧水)に水をくみに行くのが私の仕事だった」

 初子さんは18歳まで殿内でカメさんと祖母のカナさんと3人で暮らした。ヤギ、豚、ニワトリを飼い、奉公人の男性が数人いたという。「たくさんの神様を祭っていたから、家には頻繁に人が拝みに来ていた。祖母も地域の行事があれば白装束を着て祈りをささげた。昔はみんな信仰熱心だったよ」。初子さんは当時を振り返る。

今も御願に来る人が後を絶たない末吉ノロ殿内御神屋=那覇市首里

 だが、沖縄戦を前に状況が一変した。初子さんは1940年、親戚を頼りにカメさんと大阪へ疎開。神様を祭っている神屋を守るため沖縄に残ったカナさんは戦争の犠牲となり、殿内も全て消失した。終戦後、沖縄へ戻ったカメさんがノロを引き継いだが、特異な社会情勢も相まって、ノロの風習・文化は次第に希薄になっていった。初子さん自身は「拝み方も習わなかった」。カメさんは90歳まで活動を続けたが、90年に引退、末吉ノロの歴史が幕を閉じた。

 ノロは不在だが、神屋は今も親族の玉城嘉彦さん(66)が管理している。毎月1日と15日の御願は欠かさず、5年に1度は一族そろって今帰仁や勝連をお参りする。

 「時代は変わっても、先人が守り続けた沖縄の信仰文化を未来につなげていかないと」。初子さんは、歴史を物語る殿内跡を文化財として保存するか、復元して歴史教育に役立ててほしいと願っている。
 (当銘千絵)