「対馬丸」海外に伝えたい 那覇・上山中3年生 同世代思い、記念館説明英訳


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対馬丸の事実を海外にも伝えようと、記念館の説明文を英訳する上山中の3年生たち=11月、那覇市の上山中

 「We wanted to live.Why were we not allowed to do these?(私たちは生きたかった。なぜそれが許されなかったの?)」。74年前、夢と未来を奪われた多くの子どもたちがいたことを海外の人に伝えようと、那覇市立上山中学校(前田比呂也校長)の3年生138人が対馬丸記念館の説明文の英訳に取り組んでいる。生徒たちは当時の子どもたちの心情と現代でも起きている紛争を「自分ごと」として捉えて一文一文訳した。記念館は「(当時の犠牲者と)同世代の子たちのしたことに意義がある」とし、子どもたちの英訳文を館内に掲示する予定だ。

 疎開する学童らを乗せた「対馬丸」は1944年8月、米軍潜水艦の魚雷攻撃で沈没した。2004年に開館した記念館は近年外国人の来館が増えており、英語の説明文の設置が検討されていた。

 ことし5月、同校での高良政勝理事長の講演を機に学校側が生徒による英訳作業を提案、記念館側も快諾した。生徒たちは記念館を見学し、対馬丸に関する映像を鑑賞して夏休み前に事前学習を進め、11月に英語の授業で作業を行った。

 実際に担当したのは館内を案内する2人のキャラクター「キヨシ君」と「ケイコちゃん」のせりふと、当時の子どもたちの心情をくみ取って作られた詩の23パート。グループに分かれて、「Evacuate(疎開)」や「Air raid(空襲)」などの単語を調べ、どのような文法を使えば子どもたちの心情が伝わるのか議論を重ねた。

 島袋叶愛(とあ)さん(14)は「取り組みを通して、上中の先輩もたくさん犠牲になったと知った。先輩たちの思いを想像して訳した」と話した。英語科の屋比久りか子教諭は「教諭やALT(外国語指導助手)で用意した文もあったが、思いのこもった訳にこそ意味があると考え、子どもたちの英訳を採用した」と話す。

 生徒たちの英訳文と感想文を目にした高良理事長は「犠牲になった子どもたちのことを『先輩』と呼んでくれた。遠い出来事ではなく、自分たちの問題と引き寄せて考えてくれた証拠だ」と喜んだ。上山中は次年度以降も継続して英訳作業を行っていく。 (新垣梨沙)

上山中の生徒が取り組んだ対馬丸記念館の説明文の英訳と感想文