地元辺野古の思いは 辺野古土砂投入1週間


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 【名護】普天間飛行場の名護市辺野古移設への新基地建設で大浦湾に土砂が投入されてから21日で1週間になる。地元の辺野古区民らはどういう思いを抱いているのか。移設問題が浮上した当初から20年以上、反対し続ける西川征夫さん(74)と、街の活性化を望み賛成の声を掲げる辺野古商工会理事の玉利朝輝さん(59)に率直な思いを聞いた。

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ギブアップしない/西川征夫さん(74)

「1%でも可能性があるなら反対すべきだ」と訴える西川征夫さん

 20年以上、西川さんは辺野古区で新基地建設反対の意思を表明してきた。「われわれは『諦めた、ギブアップ』と口にするわけにはいかない」と強い意志を固めている。

 国が土砂投入を強行した14日は辺野古を離れ、抗議集会に参加しなかった。「(土砂投入を報じる)報道に接する度、胸が痛くなる。つらくて集会に参加できなかった」と苦しい胸の内を明かした。

 西川さんは米軍普天間飛行場の辺野古移設が取りざたされていた1997年、区民で「命を守る会」を結成した。区内で新基地建設反対を訴えてきたが、会は15年に解散した。会員の高齢化などが解散要因の一つだったが「反対してきた住民には、諦めた人はいない」と強調する。

 辺野古区は新基地建設を条件付きで容認しているが、条件の一つとなっている個別補償は防衛省が困難視している。「(区当局は)どのように区を運営していくか、区民の意見を聞いてほしい」と注文する。

 新基地建設問題が浮上して22年。基地受け入れの是非を巡って、区民は二つに割れてきた。新基地建設阻止に向けて「行政が先頭に立ってほしい。区民がアクションを起こせる環境が必要だ」と訴えた。

補償で明るい街に/玉利朝輝さん(59)

辺野古総合研究所代表で辺野古商工会理事を務める玉利朝輝さん

 玉利さんは辺野古区の活性化を期待し、国には「補償問題や振興策をしっかりと対応してほしい」と求める。父が辺野古でレストラン「ワシントン」を経営していた。にぎわいのある街を覚えている。今は閉店した店舗を改装し、企業誘致などを手がける「辺野古総合研究所」を立ち上げた。

 区の容認条件の一つの個別補償がなくなったことに複雑な心境を抱く。「個別補償がなかったら区民は反対する。それでも、国は反対する県の予算を減らすなどしてきた。権力を持った巨人と闘うことができるのか。必ず基地は来る。反対して区が求めてきたものがなくなったら意味がない」

 補償の話し合いの結論が出ないまま、土砂投入が始まった。これまでの20年間を振り返り「防衛局は、期待を持たせることを言ってきたが、区には何をしてくれるのか」と疑問を呈す。「補償問題を解決できるよう国と交渉していかないといけない。常に辺野古のことを最優先で考えてもらわないといけない」と話し、強い姿勢で補償を求めるべきだと指摘した。

 「明るい街になってほしい。基地が来ても、子どもたちが幸せに暮らせるように、今の我々が頑張らないといけない」と自らに言い聞かせた。