ひやみかち節 直筆の詩発見 名曲「米で作詞」裏付け


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
山内盛彬が玉代勢法雲から受け取ったと思われる平良新助直筆の詩。冒頭に「ひやみかち節」の歌詞になった琉歌がある(山内盛貴さん所蔵)
平良新助(「平良新助伝」より)

 「ひやみかち節」の歌詞となった琉歌を詠んだ平良新助直筆の同琉歌を含む詩がこのほど、作曲者・山内盛彬(せいひん)の遺品から発見された。盛彬はコラムに、平良がロサンゼルスにいた頃、ハワイの僧侶・玉代勢法雲から平良の詩を渡され作曲したと記しており、その時の詩と思われる。名曲誕生のきっかけとなった貴重な資料といえる。大里康永著「平良新助伝」では、平良が1953年に沖縄へ帰郷した際に古里の復興を願いこの琉歌を詠んだと記されているが、今回見つかった詩には「於北米」と記され、ロサンゼルスで詠まれたとする盛彬のコラムを裏付けている。 (伊佐尚記)
 盛彬のコラムは61年に沖縄タイムスに掲載され、「山内盛彬著作集」第3巻に収録されている。平良の詩は盛彬のひ孫・盛貴(せいき)さんが2013年ごろに見つけた。筆跡と署名から平良の直筆と分かる。歌詞の右上に別の筆跡で「山内様 御添経の上御読み下さい」とあり、署名はないが、盛彬のコラムから玉代勢が書いたと推測される。

山内盛彬(山内盛貴さん提供)

 盛貴さんは「沖縄戦の犠牲者の冥福を祈った上でお読みください、との意味ではないか」とみている。
 平良が詠んだ琉歌は「七転び転で ひやみかち起きて わしたこの沖縄 世界に知らさ」で、「ひやみかち節」の歌詞1番に使われた。発見された詩は、この琉歌の後に続きがあり、全体で「吾等(われら)の琉球」という題が付けられている。続きの「東は逆巻く太平洋」といった言葉は「平良新助伝」に収録されている「沖縄を偲(しの)ぶ 噫(ああ)沖縄死か生か 於北米」という平良の詩にも見られ、これらが同時期に詠まれた可能性がある。どちらも戦争で焦土と化した沖縄を憂い、復興を願う内容だ。
 山内家には複数の「ひやみかち節」の楽譜が保存されているが、年代が分かる最古の楽譜は52年のものだ。
 これからも平良が53年にこの琉歌を詠んだという説は誤りだといえる。
 紙芝居「平良新助物語」の脚本を書いた「ひやみかち今帰仁・移民桜の会」の大城茂樹事務局長は、発見された詩について「(沖縄で詠んだという説にのっとった)紙芝居の粗筋と異なってしまうが、平良を研究する上で重要な資料であることは間違いない。当時、北米から沖縄救済運動が広がったことを考えても、平良が北米にいた時に詠んだ可能性はある」と話した。 

 ひやみかち節 自由民権運動や海外移民に功績を残した今帰仁村出身の平良新助が詠んだ琉歌に、現那覇市首里出身の音楽研究者・山内盛彬が曲を付けた。2番以降の歌詞は盛彬が作った。後に民謡唄者らも歌詞を付け加え、県民に広く愛唱されている。