「武の湯」懐かしく 名護・辺野古の銭湯跡 1日限定で地域に開放 取り壊し前に住民集う


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 【名護】米軍キャンプ・シュワブが造成された1950年代後半、名護市辺野古区に建てられたゆふるやー(銭湯)の「武の湯」が、半世紀以上前の姿でそのまま残っている。取り壊しを前に20日、40年ぶりに1日限定で公開された。住民らにとっては少年少女時代や若い頃、家族で訪れた思い出の場所。多くの人たちが訪れ、体と心を癒やした銭湯に思いをはせた。

当時の状態で残ったままの「武の湯」の浴槽に入って笑顔を見せる人たち。思い出を語り合った=20日、名護市辺野古

 コンクリートブロック造りでトタンぶき。約60年間、区の時代を見てきた頑丈な建物は、辺野古集落の一画にある。取り壊しを検討している当主次男の嘉陽宗隆さん(59)は「通ってくださった地域の方に感謝を込めて公開した。当時の話を皆さんからも聞きたかった」と話す。

 50年代後半のシュワブ造成時に建設業者などで辺野古の人口が増加し、武の湯が開業した。復帰後、個人住宅に内風呂が設置されるようになると、徐々に銭湯に通う人は減少していった。それでも、風呂を持たない区民らのために3、4年は赤字で続けていたという。70年代半ばに廃業した後は、建物は倉庫として使われていた。番台やシャワーなどの設備はもうないが、当時の女湯の浴槽がそのまま残っている。浴槽を見た島袋勝代さん(71)は「子どもを連れてよく来ていた。昔の面影があるから懐かしいさぁ」と笑う。当時、女性たちは女湯に置かれたたらいに赤ん坊を入れ、体を洗っていたという。

「武の湯」の外観
「武の湯」の内部

 この日は、当時の写真や銭湯の図面、実際に販売していた袋入りシャンプーの箱などを並べ、訪れた人は思い思いに語り合った。島袋茂さん(57)は父と一緒に来た時のことを覚えている。「子どもの時はもっと広くて大きいと思っていた。坊主だからシャンプーではなくせっけんを使っていた。父が何も言わず絞ったタオルを渡して、背中を流していた。一緒に思い出すね」と振り返った。

 島袋武信さん(82)は「ちょうどシュワブの建設の時で、嘉手納とかコザから来た建設員が風呂に入って帰っていった。仕事の後に入ったら気持ちよくって、もう上等さぁ」と当時を振り返りながら話した。

 辺野古で唯一そのまま残された銭湯は今後、取り壊される予定だ。嘉陽さんは「最後にみんなに見てもらえてよかった。またいろんな話を聞けると思う」と語り、感謝の言葉を告げた。

 (阪口彩子)