〔未来を築く 2.24県民投票〕5 歌手 古謝美佐子さん 沖縄の歴史見つめて


社会
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 「県民投票をせざるを得なくなったこと自体が沖縄の戦争被害ですよ」。歌手の古謝美佐子さん(64)は悲しい表情を見せる。「賛否を問うのは大事だけど、その前になぜこうなったのか歴史を理解しないといけない」。沖縄に対立を強いる構造に目を向けてほしいと強く訴える。

「自分の意思を示すのは大切なこと」と語る古謝美佐子さん=8日、読谷村喜名

 数年前に音楽祭で訪れた与那国町は自衛隊配備を巡って揺れ、住民投票を求める動きが活発だった。小さな島が分断される様子を見て心苦しかった。県民投票は、その拡大版に見える。

 2015年、原発事故で被災した福島県南相馬市を訪ねた。公演の合間に制限区域に行くと、汚染土壌が黒いビニールに詰められ、積み上げられたままになっていた。補償金を巡って住民の間で摩擦が起きたことを耳にした。沖縄と一緒だと気付いた。「軍事じゃなくて被災地に税金を使って」。公演で聴衆者にこう語り掛けると拍手が湧き上がった。

 1954年、嘉手納町で生まれた。学校の授業では自然の浜を泳ぎ、野イチゴが生えるウージ畑のあぜ道が通学路だった。しかし埋め立てや開発で、生まれ育った景色はもうない。そのことを悲しく、情けなく感じる。古謝さんは「自然を壊してほしくない。まして戦争で使う基地建設のために辺野古のきれいな海を埋め立てるなんて」と語気を強める。

 幼い頃からフェンスに囲まれた土地を目にしてきた。水道から出る生水は油臭く、飲めなかった。「沖縄はずっと戦争被害を受け続けている」と表情を曇らせる。

 3歳の時、父は基地内で居眠り運転の車にはねられ、亡くなった。賠償金はたった200ドル(当時7万円)。家計は厳しく、母が基地の中で働き、生計を立てて3人の子を育てた。「仕事をもらっていると思って複雑だったから、基地への気持ちは口にチャックしていた」

 転機が訪れたのは孫が生まれた十数年前。「このまま大人が口をつぐんでいてはいけない」と基地問題や戦争について語り始めた。反響は大きかった。県外のファンの中には「沖縄をリゾート地としてしか見ていなかったが戦跡を訪れた」と報告する人もいた。少しでも沖縄に対する理解が広まってほしいと願う。

 「意思を示すのは大切なことだ」。これまでの経験を踏まえ、古謝さんは実感する。その上で、これからの沖縄を築く世代にやさしく語り掛ける。「自分や周りの人、琉球の歴史を大切にして、じっくりと考えて一票を投じてほしい」

 (清水柚里)

 (おわり)