沖縄の平成と令和 音楽、出版、戦争継承 3人に聞く


この記事を書いた人 Avatar photo 宮里 努
(左から)宮沢和史さん、新城和博さん、前泊克美さん

 1日から新しい元号「令和」の時代が始まった。天皇の在位で区切る元号に対して、沖縄戦の体験や米軍基地問題などを背景に複雑な思いを抱く人は少なくない。元号と戦争、平和を結び付けて考える県民もいる。沖縄にとっての「平成」を振り返るとともに、「令和」の時代に目指す沖縄の将来像について、出版、音楽、沖縄戦の継承の分野で活動する人たちに聞いた。

 ■宮沢和史さん(ミュージシャン)

 1992年にTHE BOOMが発表した「島唄」を通じて、沖縄と共に平成の時代を生きてきた。民謡の記録と伝承を目的とした「唄方プロジェクト」や三線の棹に使われるクルチ(リュウキュウコクタン)を植樹する「くるちの杜100年プロジェクト」を立ち上げ、沖縄民謡の素晴らしさを伝えるために活動してきた。最近、平成の時代にまいた種が実になってきたと実感する。

 私は沖縄の民謡や古典音楽が大好きだ。「俺流」があり、正しい形がないのが民謡の楽しみでもある。50代になり今やるべきなのは、後の世代に民謡をつなげることだ。三線を作る職人の技などまだ知らせたいことがある。新しくスポットを当て民謡を先細りさせないようにまい進したい。

 90年代に沖縄を訪れてから30年間、距離はありながらも沖縄と一緒に歩んできた。ウチナーグチなど時代とともに薄れていく沖縄の文化もあったが、民謡を歌い、エイサーを踊る若者たちが増えていると感じる。沖縄の若い人たちが島を誇りに思う気持ちがあるからだろう。地域の文化を守るヒントを沖縄から学んだ。今後も少しずつ活動を広げ、未来が開けることをしていきたい。

 ■新城和博さん(ボーダーインク編集者)

 「平成」は沖縄の生活・文化の面白さを沖縄の人が再発見した時代だった。僕が若者の視点で沖縄の面白さを探した「おきなわキーワードコラムブック」の刊行が1989年。平成元年だった。

 平成時代はいろんな沖縄ブームがあった。安室奈美恵や仲間由紀恵、MONGOL800など沖縄の若者が“全国区”になった。NHK連続テレビ小説「ちゅらさん」が追い風になり、沖縄の生活文化が全国に広まり、例えば物産展で売られていた「ニガウリ」が、今や「ゴーヤー」と呼ばれ県外で日常的に販売されるようになっている。沖縄にはまる人は「沖縄病」「沖縄フリーク」と呼ばれたが、沖縄好きな人が一般化したためか、そういった呼称は聞かなくなった。

 一方で在沖米軍基地問題は硬直化し、名護市辺野古への新基地建設計画を見ると日米政府は、むしろ基地を強化しようとしている。

 外国人観光客が増えている。「令和」は観光客を迎えるという経済的な側面のみを追求せず、中国、台湾、韓国やネパールなど、アジアの人々と背伸びせずに文化交流ができるようになったらすてきだ。新しい沖縄的な国際化があってもいい。

 ■前泊克美さん(ひめゆり平和祈念資料館学芸員)

 戦争で多くの同級生や先生たちを失った「ひめゆり同窓会」がひめゆり平和祈念資料館をつくろうと決心したのは1980年代だった。それから7年かけて平成のスタートと共に「ひめゆり平和祈念資料館」が開館した。

 平成の時代の流れと共に資料館は成長し続けてきた。沖縄戦体験を伝える「証言員」と歩んできた30年間を振り返ると、数々の記念展示や特別展に向けた取り組みが蓄積されてきた。その蓄積で、資料館は今も多くの修学旅行生や観光客の学びの場として活用されている。

 資料館は被体験者が沖縄戦を伝える時代を見据え、後継者の育成に力を入れてきた。「証言員」が沖縄戦継承の基盤をつくってくれたことは非常に大きい。

 これからの資料館を担う私たち職員は、自らの戦争体験を語り続けてきた彼女たちの熱をそのまま伝えることはできないかもしれない。だが、証言者の心や思いを知っているからこそ、彼女たちのことを伝えることが役目だと思っている。“体験者のように”ではなく、私たちなりの形で体験者が大事にしてきた「二度と戦争を起こしてはいけない」という理念を次の世代につないでいきたい。