沖縄戦中、米軍は各地に民間人収容所を作った その意図は何だったのか?名護市史資料編で解明


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市史資料編の概要を説明した名護市教育委員会文化課市史編さん係の(左から)川満彰さん、松原彰子係長=4月25日、名護市の旧崎山図書館

 【名護】沖縄県名護市は「米軍政府と民間人収容地区 1945―1946年 ―名護・やんばるを中心に―」と題した市史資料編を発刊した。米軍将校らの記録の翻訳や当時の写真などを収録し、民間人収容所を設置するに至った米軍政府の意図や状況を明らかにしている。市教育委員会文化課市史編さん係が4月25日、名護市の旧崎山図書館で会見を開き、資料編の概要を説明した。

 同書は米軍将校だったジェームス・ワトキンス氏が収集した米軍の報告書や日誌などの資料群「ワトキンス・ペーパー」を基にしている。資料群から地名を手掛かりに本島北部に関連する文書を抜き出し、和訳して収録した。

 同書からは米軍が綿密な統計に基づいて、軍政を実行していたことが分かる。収録されている報告書には沖縄戦で中南部に6万人の避難民がいたことなどが記録されている。市史編さん係の川満彰さんは「日本軍と違って、米軍は全てを把握して淡々と沖縄戦を遂行していた」と解説する。

 一方、別の報告書では沖縄戦下で米軍が他の目的に収容所を使用するため、民間人を別の地域に移動させたことが記されている。川満さんは「米軍は『邪魔な住民をどうするか』という視点で県民を見ていた。軍隊は住民を守るものではないと分かる」と強調した。

 同書は2016年に刊行した「名護市史本編・3 名護やんばるの沖縄戦」を補完する内容。同書の刊行で「名護市史本編・3 戦争編」の刊行事業は終了したが、川満さんは「来年に向けて(沖縄戦体験者の)証言集に取り組みたい」と述べた。市史資料編は名護博物館や名護市内書店などで購入できる。遠方は郵便で対応する。1冊1700円(税込み)。問い合わせは市教委文化課市史編さん係(電話)0980(53)5402。