選挙期間中のファクトチェックは中立、公平、客観から逸脱しているのか? 「ファクトチェック」座談会【1】


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 2018年9月の県知事選で琉球新報は地方紙としては初めてファクトチェック報道を開始し、ネット上を中心に拡散される偽情報や根拠不明の情報など「フェイクニュース」について、事実を検証した記事を掲載した。17日に開かれた座談会には、専門家やネットメディア、全国紙から有識者が集まり、本紙報道への評価や、ファクトチェックの今後の方向性について活発な議論を交わした。出席者らはそれぞれの立場から現実社会に影響を及ぼしているフェイクニュースに対応するメディアの姿勢、選挙報道におけるファクトチェックの意義について考えを語った。(文中敬称略)

(右から)瀬川至朗氏 古田大輔氏 倉重篤郎氏 滝本匠

参加者

瀬川至朗氏(早稲田大教授、NPO法人「ファクトチェック・イニシアティブ(FIJ)」理事長)
古田大輔氏(ネットメディア「BuzzFeeD Japan(バズフィード・ジャパン)」創刊編集長)
倉重篤郎氏(元毎日新聞社政治部長)
滝本匠(琉球新報東京支社報道部長)

進行 島洋子(琉球新報報道本部長)

琉球新報の知事選ファクトチェックは象徴的報道

 島 一連の報道についてご意見を伺いたい。

島洋子(琉球新報報道本部長)

 瀬川 県知事選で琉球新報がファクトチェックを取り組んだのは画期的なことだと思う。新聞やテレビはネットの言説に関心を持っているが、見て見ぬふりをする。結果、真偽不明の情報が出回って、人々に影響を与えている状況がある。地元メディアがやるのは影響力、インパクトがあろうと思う。

 一方、どの情報、言説を対象にファクトチェックをしているのかという根拠、判定がやや見えづらく明確ではない部分もあった。対象、結果、どの根拠に基づいて判断したのかを明確に公開性と透明性を持って示すことがガイドラインとなっている。それにそぐわない部分もあった。

 新聞の情報量の制約、見出しと記事という従来の慣行と、ファクトチェックの試みが合わない部分もある。今後、ストーリーを重視しながら、かつ論理的に情報公開をできるような形の報道をやっていただきたいと思う。ネットでの展開が主力と考えてもよい。

 古田 日本の主流派の新聞やテレビ、通信社、出版などのメディアはファクトチェックに対して積極的ではなかった。海外は政治家を中心とする有力者の発言に対するファクトチェック、ネット上のデマの検証という二つの軸で進んできた。現在は二つの軸が重なり合ってきている。

 だが、日本は政治家の発言に対するファクトチェックは「選挙報道における中立・公平性」でほとんどしないし、ネット上の言説も軽んじている。海外で発展した二つの軸について、両方とも日本の新聞社とテレビ局は及び腰だったことが、日本でファクトチェックが発展しなかった大きな理由だ。

 それに対して、琉球新報などがファクトチェックを始めたのは象徴的だ。沖縄に対して繰り返しデマの情報が流れ、そのデマが真実かのように語られ始めた。それを目の当たりにすると恐怖感を覚える。その恐怖感をどれだけ日本の新聞社、テレビ局で働いている人たちが共有できているのか。ネット上で広がる操作された情報への脅威を一番感じているのは沖縄の人たち、メディアだと思う。

 倉重 分量と質は高いと思った。知事選と県民投票でファクトチェックをやった意義は大きかった。フェイクニュースによって投票結果が左右される可能性がある選挙だった。

 朝日新聞の調査で(世論調査に)差が付いているという情報について、朝日新聞に問い合わせて記事にしていた。だが、いつ、どういう形で、どういうデータで出回ったのかという記述が見当たらなかった。

 安室奈美恵さんが故・翁長雄志前知事の後継候補を支持するという情報の検証記事について、安室さんは追悼の言葉を寄せたが、翁長氏を積極的に支援する表現は確認できなかったとした。事実関係はよく分かったが、安室さんがどういうレベルのコメントをしたのか、追悼のコメントが知りたいと思った。

 事実関係をチェックしているが、安室さんの肉声が取れた方がよかったのではないか。面白かったのは沖縄フェイクを追う中で根元に対して調査報道をしている。どこまで突き詰められたかということもあるが、その経過が面白く、ダイナミズムな取材を感じた。

これからの選挙報道は?

琉球新報の一連の「ファクトチェック」報道

 島 選挙ではメディアの公平性、公職選挙法の問題がかなり求められている。

 倉重 公示から投票日までは選挙報道の穴になっている。公選法に従って平等を欠くと思われるようなことは慎まないといけないと刷り込まれている。

 以前、政策評価をするNGOと新聞社が提携して、各党の政策評価を分かりやすく点数付けで実施し、読者に提供しようという試みをしたことがあるが、(政党から)「点数化しているけど、それはあくまでも新聞社とレーティング団体の主観だろう」とクレームが付いたこともあった。

 古田 日本新聞協会が1966年に出した統一見解は公職選挙法148条を巡って「一般的な報道、評論を制限するものでないことは自明であり、事実に立脚した自信のある報道、評論が期待される」としている。評論が期待されている。これが新聞協会の見解であり、裁判の判例であり、関係省庁の見解だ。なぜかこの見解が50年間無視されてきた。

 バズフィードで選挙のファクトチェックを始めた時に、新聞社の何人かに「有権者の投票行動に影響を与えてしまうのではないか。責任をどうするのか」と言われた。有権者に影響を与えないようにどうやって書くのか、それは不可能ではないか。

 A候補とB候補がいると仮定し、B候補が多くのうそを言っている。そのときにB候補が「うそを言っている」と書かなかったら報道機関として責任を放棄しているのと一緒なのではないか。ある候補が悪いことをしたら「ある候補は悪いことをしている」と書くのが中立、公平、客観の立場なのではないか。

 瀬川 ファクトチェックは根拠を持って評価する。つまり、この評価は「どのような理由で出てきているのか」を明らかにするやり方できちっとすれば、その問題は共有され、可能な限り客観的になっていく。評論も単なる言いっ放しではなく、事実に基づいてする。事実に基づいて、根拠に基づいて意見を言うことが必要だ。

 倉重 (新聞の選挙報道で)平等は必要だと思うが、事実に基づき表現を担保した評論、分かりやすくて本質的なものはもっと多く読者に提供するべきだ。その観点からすると今回の(県知事選での)ファクトチェック報道はやっぱり付加価値を高めたのではないか。争点になるかもしれない問題について、事実関係をチェックして一定の決着を付けるという意味では大いにされるべきことだ。

 参院選などで「これは本当なのかどうなのか」という話も出てくる可能性もある。分かる範囲で、段階ごとに分かったことは手の内をさらしていくということが、これからの流れになるのだろう。ネットなどで(情報が)どんどん出ていく。対抗するわけじゃないが、並んでいくためにはそういう報道が必要になってくる。問題意識があれば積極的に取材して、白か黒かを明らかにする。そういうことは行われるべきであると思っている。

新聞紙では文字数、紙幅に限界

 瀬川 「虚構のダブルスコア」の記事(2018年9月8日付本紙)について言いたい。ファクトチェックの国際的ガイドラインは対象言説について「検証の対象を不特定多数者に公開され、社会に影響を与える可能性がある言説とします」というものがある。世論調査の情報が一部の人の中で言葉だけで回っているのか、紙があるのかという点で変わってくる。

瀬川至朗氏

 古田 この案件は、少なくともツイッターで出回っていたので対象言説にはなっていると思う。ただし、ウェブならば文字数制限がないから書けるが、新聞の文字数で書くのは大変だと思う。

 ファクトチェックはある程度書き込む必要があるし、丁寧に状況を書かないといけない。「これが真実ではない理由は、こういうことです」という裏付けも書かないといけない。そうすると2千字、3千字は簡単に使う。新聞で200行の記事を毎日出せるかというと出せない。日本において、ファクトチェックが広がらない理由の一つではないか。文字数を最初に考えてしまう。

 島 記事はかなり添削し、常時ネットメディアに触れているわけではない読者向けに説明するのは、すごく大変だった。指摘のように尺(紙幅)の壁はあると思う。

 倉重 選挙に対する報道はタイムリミットがあり、時間との勝負。そう考えると、制約の中では(報道は)それなりの役割を果たしたと思う。

 古田 そこは素晴らしいと思う。投開票日締め切り後、翌日が日本の新聞やテレビは最も詳しい。バズフィードは投票する人に適切な情報を与えたいので「締め切り後と翌日に頑張るのではなく、その前に頑張ろう」とよく話をする。

 倉重 確かに新聞は違う。その間(選挙期間)は政局と、結果を間違えないように報道をする。

 瀬川 それがフェイクの情報を流させている温床になっている。何かを取り上げると「一方に不公平だ」となり、書かない。そうすると、間違った情報が流通し、有権者が真に受けて投票するという問題がある。公選法は「間違った情報を流さない」ということを言っている。その点で試みは良かった。


<公職選挙法第148条>

 「新聞紙または雑誌が、選挙に関し、報道及び評論を掲載する自由を妨げるものではない。但し、虚偽の事項を記載し又は事実を歪曲して記載する等表現の自由を濫用して選挙の公正を害してはならない」と規定している。「表現の自由を濫用して選挙の公正を害してはならない」という規定が、選挙報道でメディアによる積極的な報道が少ない理由だとの指摘もある。