米軍操縦士長男を取材 宮森墜落60年 真相追う あす午後2時OTV放送


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
編集作業にいそしむ松本早織記者(右)とフリージャーナリストの土江真樹子さん(左)=21日午後、那覇市のOTV

 沖縄県うるま市石川(旧石川市)の宮森小学校に米軍嘉手納基地所属のF100D戦闘機が墜落した事故から6月30日で60年になるのに合わせて、沖縄テレビ放送(OTV)が25日午後2時から開局60周年記念特別番組「60年目の宮森~失われたピースを探して~」を放送する。操縦士の長男にメディアで初めてインタビューしたほか、事故後に消息が分からなくなった少年を追った。

 企画したのはフリージャーナリストの土江真樹子さん。土江さんは他局の記者だった20年前に宮森小の墜落事故を初めて取材。遺族や関係者に接した経験から「事故をなかったことにはできない」と取材を続けている。OTV報道部の松本早織記者も制作に携わった。

初めてメディアの取材に応じる事故機操縦士の長男ジョン・シュミッツさん(OTV提供)

 番組ではパラシュートで脱出して無事だった操縦士の事故後を追跡。土江さんは20年来、操縦士に取材を申し込んでいたが断られ続けていた。今年になって操縦士の長男ジョン・シュミッツさん(59)の住まいが分かり、インタビューが実現した。

 シュミッツさんは、父が事故後も1年半、嘉手納基地にいたことやベトナム戦争にも出兵していたことを明かした一方で、宮森小の事故については「一切聞かされていなかった」と話したという。

 土江さんは「沖縄が負った傷の一つとして、事故のことをちゃんと知らなければならない」と話し、松本記者も「事故から60年がたっても被害者や遺族の傷は癒えていない。番組が事故の真相を知るピースの一つになってほしい」と語る。

 事故は1959年6月30日に起きた。飛行中、突然火を噴き操縦不能となった機体が住宅地に墜落。弾みで宮森小にも突っ込み、児童12人を含む18人が死亡(児童1人は後遺症で死亡)、210人が重軽傷を負うなど戦後の沖縄で過去最大の墜落事故となった。