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戦争で生き別れ…比残留孤児の女性が父の故郷に初“帰国” 「父のおかげで実現できた」


この記事を書いた人 大森 茂夫
異母弟の冨里利雄さん(左端)と再会し、手を握り涙する冨里ゼナイダスミコさん(右端)=25日午後、那覇空港

 戦争で父と生き別れとなり、フィリピンに残留した冨里ゼナイダスミコさん(78)が25日、那覇空港に降り立ち、初めて父親の故郷・沖縄の地を踏んだ。出迎えた異母弟の冨里利雄さん(71)=うるま市=と抱き合ったスミコさんは「父は私たちを忘れたと思ったが、今日の出来事が実現したのは父のおかげだと思う」と喜びをかみしめた。

 スミコさんの父は県出身の冨里清繁さんで1996年に死去、母は日系2世の寺田アントニアさんで戦争で45年に亡くなった。

 父と生き別れたスミコさんは戦後、親戚の家事手伝いをしながら苦学したという。ある時、母方の伯母がスミコさんと母の出生証明書を見つけ、父が「ヤマト フサト」だと分かった。「ヤマト」は童名とみられる。

 スミコさんが父を捜していたところ、フィリピン日系人リーガルサポートセンターの調査で、冨里清繁さんが父だと分かったのは2007年。清繁さんは終戦後、強制送還され沖縄で既に亡くなっていた。利雄さんは姉がいることを父の知人から聞かされていた。清繁さんは生前フィリピンの話はしなかったが、死の間際に頼み事をするように何かを訴えていた。

 スミコさんが利雄さんと対面したのは戦後70年が経過した15年。スミコさんは「父の親族に会いたい」という長年の思いがかなったことで喜びの涙を流し神に感謝した。その姿に感激した利雄さんが「父の墓参りをさせたい」と考え、初来沖が実現した。

 スミコさんは26日、清繁さんが眠る津堅島を訪れる。「父の墓をお参りしたい。これ以上の願いはない」。父との再会に胸を膨らませた。