今も心の傷は癒えていない… 米兵の飲酒事故で両親亡くした女性 「平和であるよう祈る」


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被害体験を交えながら意見を述べる栄口区自治会長の島袋艶子さん=2日、北谷町のちゃたんニライセンターカナイホール

 【北谷】4月に北谷町で発生した米海軍兵による女性殺害事件を受け、市民団体や地域の有志による「緊急追悼・抗議集会」が2日、同町のちゃたんニライセンターカナイホールで開かれた。集会で採択された抗議声明では、事件は県内に暮らす全ての人に起こり得るものだったとし、繰り返される米兵らによる事件事故への抗議と再発防止を強く訴えた。

 追悼・抗議集会には地元関係者の代表として栄口区の島袋艶子自治会長も登壇した。島袋会長は1973年に米兵による飲酒事故で両親を亡くした経験に触れ、「私も子どもたちだけ取り残された状況だった。私と重なることがある」と神妙な面持ちで語った。

 両親が事故に遭った時、島袋さんは26歳で7人きょうだいの一番上だった。当時は復帰直後で、頼れる人もおらず、親戚に米軍基地内で勤務する人もいた。「米軍に何か言うと仕事がなくなるよ」「事故前にちょっと休憩でもしてたら事故に遭わなかったのに」と心ない言葉を耳にすることもあった。

 翌年には子どもを授かり、母・シゲさんと検診に行く夢を見ることもあった。事故以来、電気を消して眠ることができなくなり、今も心の傷は癒えていない。島袋会長は「戦争がないように、平和であるように祈りながら、これからの子どもたちのために歩んでいきたい」と力強く訴えた。