見かねた両親が精神病院に入院させてくれた。ミュージシャンの春翠(34)=岐阜県出身、与那原町=にとって、閉鎖病棟に閉じ込められた1カ月半の生活は地獄のようだった。なぜこうなったのか、どれだけ向き合っても答えは出なかった。
一方で薬物の離脱症状は確実に改善していた。身体から薬が抜けきった感じがした。「これでもう一度やり直せる、やっとやめられる」。心からそう思った。
しかし、退院してから数日後にはもう使っていた。自分の意志ではコントロールできない。どうしようもできない。入院を3回繰り返し、家に戻っても、両親は身体の自由を制限せざるを得なかった。
「人生終わったと思った」。「何度も何度も死のうとした。死ぬ勇気すらなかった」
ミュージシャンとして成功するという夢に敗れかけて、空虚感を埋めるために走った薬物。夢を見るどころか、普通に生活していくことも、ただ生きていくことすらも投げ捨てようとしていた。
その矢先、家族や知人があるリハビリ施設に相談していた。当時国内で一番の回復率だった「琉球GAIA」(那覇市)だ。3回入院しても断ち切れなかった薬物依存。全く自信はなかった。しかし、施設長の掛けてくれたある言葉が後押しとなった。
「君も必ず幸せになれるよ」
春翠はもう一度、人生を自らの手に取り戻すべく那覇空港に降り立った。忘れもしない2012年1月16日の出来事だった。
薬物などの依存症のリハビリ施設「琉球GAIA」には、自らと同じような境遇に身を置き、必死に頑張る仲間がいた。春翠はここで1年半の入寮生活を送る。開始後2カ月目に一度だけ「脱法ドラッグ」を使ってしまったことがある。落ち込み、取り乱す自分に、仲間が声を掛けてくれた。
「俺たちは病気だから、仕方ないよ」。
救われた気がした。これまでは「なんで使うんだ」と責められる中、自分ではどうあがいても自らを制御できず、孤立と罪悪感を深めていったからだ。
この日から7年間、薬物を断ち切ることができている。しかし、春翠は言葉を選ぶ。「薬物に対する強烈な欲求や衝動は相当薄くなった」だけにすぎないと。
「薬物依存の人が『もうやめられました』って言っている時点では、克服できていない。薬物依存は『自分ではコントロールできないもの』ということを自覚しないといけない」
琉球GAIAでのリハビリを終え、禁止されていたギターを抱えた春翠は、那覇市民体育館の外階段に向かった。ここは音が良く響く。ギターの音も歌声も、よく響く。何度も死のうとした自分、人生は終わったと確信してしまった自分。それでも、もう一度、歌を歌いたい。
春翠はここである曲を一気に書き上げ、歌っていた。
「Beautifu life(素晴らしき人生)」
爽やかに美しく響く4和音が、沖縄の夏空に晴れ晴れと鳴っていた。
(長濱良起通信員)
◇ ◇ ◇
満たされない心を埋めるため、薬物に手を出して依存症になってしまった一人の男性。もう一度幸せを取り戻そうと沖縄に渡り、矯正施設で仲間に支えられながら克服していく軌跡に迫った。