「幸恵ちゃん会いたい」 58年前、生後2カ月で預かり、1年間育てた「名付けの母」


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幸恵さんとの再会を願う玉城文子さん=4日、豊見城市のゆたか認定こども園

 幸恵(ゆきえ)ちゃん、お元気ですか―。沖縄県豊見城市で保育園を経営する玉城文子さん(82)は、58年前に一時預かっていた幸恵さんに会いたいと願っている。幸恵さんの両親が病気を患い、生後2カ月で玉城さんの保育園に預けられ、1歳2カ月で祖父母に引き取られるまで育てた。玉城さんは「元気でいたら今頃、60歳近く。ずっと気掛かりで、一目でも会いたい」と語り、連絡を待っている。

 幸恵さんは両親ともに結核を患い、1961年に玉城さんが開設した「こひつじ保育所」(糸満市糸満)に県の福祉事務所を通じて預けられた。名前は付けられておらず、玉城さんが「幸せに恵まれてほしい」との願いを込めて「幸恵」と名付けたという。

 当時、保育所を開いて約2年目だったという玉城さん。幸恵さんは未熟児で生まれ、生後2カ月は保育器の中で育った後に玉城さんの保育所に預けられたが、よく風邪をひいた。1回に飲むミルクの量も少なかったため、約20分ごとにミルクを与えていたという。復帰前で物資も乏しい中、幸恵さんのおむつや着替えは近くに住む宣教師にお願いして工面していた。

 預かって約1年後、よちよち歩きをし始めた頃、母親の退院を機に祖父母が引き取りに来たという。玉城さんは「身が引き裂かれる思いがしたが、母親に勝るものはないと笑顔で見送った」と振り返る。その後、2~3回、祖父母と保育所を訪ねてきたが、それ以降は会えていない。

 玉城さんによると、幸恵さんの両親は那覇市与儀に住んでいたとの情報がある。名字は「比嘉」と記憶しているが、定かではないという。現在も保育園を運営する玉城さんは「幸恵ちゃんとの出会いが私の保育の始まりだった。元気でいてほしい」と再会を希望している。玉城さんの連絡先は豊見城市のゆたか認定こども園(電話)098(850)5992。(池田哲平)