芸能・文化

沖縄戦「集団自決」を生きる

 生はいつか必ず死を迎える。この厳然たる自然の原理。父や母、姉、先輩、友の死に立ち会い、自らもそのふちに立つ年だというのに、ほとんど死について考えたことのないわたしに重い課題が突きつけられた。「沖縄戦『集団自決』を生きる」だ。

死はつらく悲しいものと逃げ、早く忘れたいと考えるわたしに「集団自決」を語る資格など、さらさらないと思ったからだ。だが本書は、このような後ろ向きの姿勢から未来は生まれないことを教示する。
 集団自決を生きてこられた方たちが、長く封印してきた沈黙を絞り出す苦悩に、ひそかな信念と勇気が混じり、心を震わせるからだ。皇民化教育、軍官民共生死をたたき込まれ、極限状況に追いつめられた結果とはいえ、「集団自決」を語ることは、己を、肉親を、他人を責め、死者の魂までも責めることになると悩み、おののかぬ人はいないだろう。語らない、忘れたいと願っても消えぬ疼(うず)き。奧の奧に閉じこめたはずなのに、ふっと飛び出してくる残影。
 だが己一人の胸に収めておけない状況が、文部科学省の教科書検定で出現する。事実を否定わい曲し、戦争ができる国へと策動する勢力。これでは亡くなった人たちへさらなるムチを打つ行為ではないのか。黙ることは死者、生存者への冒涜(ぼうとく)そのものではないのかと。開いたとはいえ、その口は重い。著者にも深い逡巡(しゅんじゅん)が何度もあったことだろう。真摯(しんし)さと謙虚さ、そしてジャーナリストとしての使命に立ち向かう。それ故に語られた証言一つ一つは、重い。本書はその上に出版されたものだ。
 今なお世界各地で起こる戦争で犠牲になるのは、常に住民だ。日本人の犠牲者はないと安堵(あんど)したような報道には死を差別する違和感もある。命はすべて平等で尊いと学びながら、その実現はまだまだ遠い。
 命は人類だけの特権ではない。泡瀬干潟では多様な生物が埋め殺され、自然界の命は蹂躙(じゅうりん)され続けたままだ。自然への感謝と尊厳をもって共生する人類へと進化することが、平和や命と切実に結びつくことになるのではないか、と本書を読み進めながら発想する。
 現実を直視し、向き合うことが道を開くのだ、とあらためて確認したい。
 (小橋川共男・写真家、泡瀬干潟を守る連絡会共同代表)

沖縄戦「集団自決」を生きる
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