【ブラジル】「楽聖・知念績高」の三線見つかる


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知念績高が愛用したという三線

 楽聖・知念績高(1761―1828)が愛用したという三線(棹(さお)部分)がこのほど、ブラジル・サンパウロ市内で見つかった。5日、沖縄県人会本部会館で開かれた「説明と意見交換会」で、集まった約30人の琉球古典音楽関係者に披露された。

 緊張した雰囲気が漂う中、漆の塗られていない、底光りのする、くっきりと木目の鮮やかな八重山クルチの棹(さお)を手に取り、出席者はそれぞれ感慨深げに見入っていた。
 昨年11月に『写真で見る沖縄県人移民100周年史』の資料収集過程でこの三線の存在を知った宮城あきら編集委員長と大城栄子委員が、関係者の協力を得てその所在を確認。書類や文献などから得た情報を基に、知念績高が愛用した三線にほぼ間違いないと判断し、
今回の「お披露目」となった。
 この三線は、1918年に移住してきた故・親川徳太郎さん・マカトさん夫妻(旧羽地村仲尾次出身)が携えてきたもので、尚真王を祖系とする親川家に代々継承されてきた。後に、一門の故・新城清助さん(野村流古典音楽保存会ブラジル支部初代支部長)・スエ子さん夫妻が譲り受けた。スエ子さんは県人会の協和婦人会第3代会長を務めた人で、譲り受けた理由を、「夜になるとひとりでに奏でるという三線に、知念績高の霊魂の執着を感じ、夫婦で招霊供養をするため」と、63年に来伯した故・谷口雅春生長の家総裁の講演会で「私の体験報告」として述べている。
 三線は、現在、サンパウロ市内に住むスエ子さんの次男の新城秀夫さん(83)が保管している。
 元古典音楽保存会ブラジル支部長で、自らも三線を製作する知花真勲さんは、「専門家の鑑定を待たなければならないが、いろいろな条件・状況からして200年以上前の、真壁型、幻の三線といえるのではないか」と話している。また、宮城編集委員長によると、現時点でブラジル国内に100年から150年前の三線が7、8丁存在することが分かっているという。三線は、3月1日に催される「さんしんの日」に一般に披露される。
(与那嶺恵子通信員)