日本兵が「死になさい」 山城さんが証言 真実、後世に願い

 文部科学省の教科書検定で、高校歴史教科書の沖縄戦「集団自決(強制集団死)」の日本軍強制記述が削除・修正されたのを受け、2007年に開かれた「教科書検定意見撤回を求める県民大会」(同実行委主催)から約2年。民主党主導の政権誕生を機に、検定意見撤回と記述回復など当時の大会決議実現を目指し「9・29県民大会決議を実現させる県民集会」(9・29県民大会決議を実現させる会主催)が29日午後6時から県庁前広場で開かれる。

「集団自決」の現場から一命を取り留めた元住民は体験を語り記述回復の願いを集会に託す。主催関係者は「運動を前進させたい」と再び闘いに挑む。
 「ここで死になさいね」。山城功さん=当時(12)=の義理の伯母ヨシさんは1945年3月25日夜、座間味島の軍本部の壕内で、少尉から手榴弾(しゅりゅうだん)を渡された。「使い方が分からないなら輪になりなさい。自分がやるから、心配ないから」とヨシさんや山城さん、姉の千代枝さん=当時(15)、功さんのいとこに指示した。「その中心に手榴弾を放るつもりだったんだろう」。しかし、猛烈に抵抗する千代枝さんの姿を見たヨシさんは、少尉に頼み込み、手榴弾を返した。「姉が必死に抵抗していなかったら、あそこで死んでいたかもしれない」。山城さん(76)は振り返り、宙を見つめる。
 山城さんの妻、美枝子さん(68)は沖縄戦当時、座間味村の助役だった宮里盛秀さんの次女だ。夫婦とも同村出身だが、結婚以来、戦争当時の村の状況が話題に上ることはなかった。「あれだけの人数を巻きこんだ『集団自決』があった村の、助役だった父の立場もあり言葉が出なかった」(美枝子さん)。
 変わったのは、教科書検定問題を知ってからだ。
 「何があったか現実をしっかり見てもらい、戦争がどういうものか考えてほしい」。思いを強くし、夫婦間で話すようになり聞き取りにも応じるようになった。
 座間味・渡嘉敷両島で起きた「集団自決」(強制集団死)をめぐり、両島に駐留していた日本軍の戦隊長が住民に自決を命じたとの本の記述は誤りだとして、元戦隊長らが提訴した大江・岩波訴訟。原告側は、父の盛秀さんが「自決命令」を出したと主張していたが、一審でも控訴審でも訴えは棄却された。「訴訟も教科書検定問題も同じ問題だ。現実に何があったかをきちんと残さないと、同じことが繰り返されてしまう」と危機感を強くする。
 「沖縄戦で何があったかを子や孫に知ってもらうためにも、教科書の記述は回復されるべきだ」。美枝子さんは29日の県民集会に思いを託した。
(当銘寿夫)