安波区採決持ち越し 読み外れ、事実上頓挫

 国民新党の下地幹郎幹事長が米軍普天間飛行場の移設先の一つとして、日米両政府に提案したことで急浮上した国頭村安波区への移設案。推進してきた元県議の比嘉勝秀氏や前東村長の宮城茂氏らは区民総会で一気に賛成を取り付け、下地氏らを通じて6月下旬に予定される日米安全保障協議委員会(2プラス2)で現行案に次ぐ案として、安波移設案を取り上げさせる筋書きを描いたが、採決先送りにより「2プラス2には間に合わない」(前国頭村長の上原康作氏)状況となった。

宮城氏は「きょう決議できなければ無理だ。この話はもう終わった」と安波案の事実上の頓挫を断言した。
 仲井真弘多県知事や県内各首長、各議会が県内移設に反対し、宮城馨国頭村長が強固な反対意思を示す状況を踏まえても、実現性が高い案だったとは言い難い。日米政府に提出された要請文に署名した区有力者らから事前の説明がない中、総会で反対意見が噴出した。結論が先送りとなったことも自然の成り行きだった。

■急浮上の背景

 安波案浮上の背景には、北部地域に多くの振興策が投入されたにもかかわらず、その恩恵が薄く、人口が減少し続ける国頭村東部の住民らの複雑な思いがあった。安波区有志は政府に提出した要請文の中で「人間が生きていける地域として蘇生させてほしい」と強く要望し、疲弊する地域の再生を切望した。戦後600人以上だったとされる同区の人口は172人まで減った。衰退に歯止めがかからない現状を打開したいと、有志らの思いは新基地誘致に向かった。
 同区は2010年9月から有志による勉強会を開始。同区に住む上原氏や同村安田出身の比嘉氏、東村の宮城氏らをアドバイザーに付け、半年以上議論を積み重ねてきた。その結果、自衛隊と民間の軍民共用空港の設置と高速道路の延伸を条件に、米海兵隊のグアム移転が完了するまでという期限付きで普天間飛行場の移設を受け入れる計画をまとめた。実際の案は比嘉氏と宮城氏が中心になって作成したという。

■紛糾し結論出せず
 宮城氏は安波案については実現性が難しいことは認めながら「(名護市)久志から東、大宜味、国頭まで北部全体の振興が目的」と期待を込め、比嘉氏は「辺野古移設が難しくなっており、嘉手納統合案も(過去の経緯から)つぶれるのは当然。すると安波案が現実味を帯びてくる。安波なら辺野古より建設費も少なく済み、浮いた分で高速道路を延ばせる」などと自信を見せていた。
 ところが、満を持して臨んだ区民総会で「山や海と森を守り、子どもたちに受け継ぐのが私たちの役割だ」「なぜそんな危険な基地を押し付けるのか」などと反対意見が相次いだ。
 上原氏は「役員会では(総会で推進の)方向を出す思いだったが、賛否が紛糾し、結論を出す状況じゃなかった。賛成する側からしても、思ったより反対意見が多いなと(感じた)」と読みの外れを吐露した。
 県や村レベルでの支持はなく、区内ですらまとまらない案が、国と国との交渉の場で有効な案として機能するはずはない。実現性の限りなく低い案をぶち上げたことで、小さな集落を揺るがし、普天間飛行場の県内移設の険しさと混迷の深さを一層印象付ける格好となった。(外間愛也)