【アメリカ】マイケル・高嶺氏表彰 日系人442部隊で貢献


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呉屋君子会長から感謝のレイを受けるマイケル・高嶺氏=モンテベロー市のクワイヤットキャノン・レストラン

 北米沖縄県人会新年宴会の席上一人の老紳士が表彰された。第2次世界大戦ヨーロッパ戦線でドイツやイタリア軍兵士と勇敢に戦った、442部隊の6人の北米沖縄県人会員生存者の一人マイケル・高嶺氏である。昨年11月に首都ワシントンで行われたオバマ大統領による日系人442部隊および日本語通訳特別連隊に貢献したとして「議会金メダル」授与式に出席した。ダニエル・イノウエ上院議員やスパーク・マツナガ上院議員らと一緒の受賞であった。「山河燃ゆ」、「99年の愛~ジャパニーズアメリカンズ」などのドラマでおなじみの日系2世部隊の一員である。

 沖縄県人会の現役会員の受賞者ラルフ・津波、ハーリー・小橋川、テツオ・安里、ポール・バンナイ、フランク・東の6氏らに招待状を出したが、健康に優れず、高嶺氏だけが出席した。大戦が終わった沖縄で「もう戦争は終わりました、早く出てください」と壕に向かって叫んだ従軍通訳兵も、オバマ大統領の「議会金メダル授与者」の中に含まれていた。
 時は1900年代の初め。日本から海を渡ってアメリカ領内、特にハワイに多数の日系人が移民として渡った。彼らは白人から差別と偏見を受け、貧困の中でつらい生活を送ることを余儀なくされたものの、自分たちの子どもには苦労をかけたくないという一心から懸命に働き、努力を重ね続けた。
 彼らの子どもたち、つまり日系2世たちが成人を迎えるころには、アメリカにおける日本人社会はかなり巨大なものとなっていた。日系人たちはアメリカでも最高の教育水準を誇り、医師や弁護士、教師といった社会的地位の高い職種に就いていたのである。
 しかし1940年になると、アメリカ内での対日感情は日増しに悪いものとなっていった。日本がアメリカを攻撃してくるという報道が連日のように流れ、日系人たちはいわれのない非難を受けることとなったのだ。
 そして41年12月8日。日本軍による真珠湾奇襲攻撃が敢行されると、日系人たちはまるで犯罪者のごとく扱われ差別と弾圧の対象にされた。またアメリカ国内の日系人たちを敵性民族として監視の対象とする「敵性外国人法」が施行され、全ての日系人たちは財産を没収された上で、強制収容所へ連れて行かれた。
 これに敢然と異を唱えたのが日系2世たちである。アメリカで生まれアメリカ文化の中で育った彼らにとっては、日本は遠い外国の国であり、アメリカこそが祖国なのだ。「差別の中にある今こそ、アメリカに忠誠を見せる時だ」。日系2世たちは忠誠の証しとして軍隊に志願してアメリカのために戦う道を選んだ。「Go for broke(当たって砕けろ)」の精神をもって勇敢に戦った史実は今も語り草となっている。(当銘貞夫通信員)