【母として・異国で生きる県系人】清美・ヒューズさん ワシントンDC


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清美ヒューズさん(前列左端)一家

子の存在、生きる力に

 清美・ヒューズさん(63)=旧姓・嘉数、嘉手納町出身=は週に一度の琉球舞踊の稽古、そして友人との語らいを楽しみ専業主婦として平穏な日々を送っている。米ワシントンDC郊外の閑静な住宅の豪華な家は隅々まで掃除が行き届き、庭には四季折々の花々や家庭菜園のキュウリやエンサイなどが育っていた。

過酷な半生を聞くことになるとは想像だにしなかった。
 1949年に旧嘉手納村で生まれた。物心つくころに父親のいないことに気付き、母親は清美さんが6歳の時に他界。祖母に育てられるが清美さんが中学1年生の時、祖母も病死した。天涯孤独になった清美さんは中学卒業と同時に集団就職で本土に行くが半年後に沖縄へ戻り、その後は自分の置かれた人生を恨み、自暴自棄の青春時代を送る。
 米海兵隊だった夫のノーリスさんと知り合い71年に婚約ビザで渡米。しかし清美さんは異国で言葉や文化の壁に押しつぶされる。さらに夫の浮気や交通事故、育児ノイローゼになり、お酒に溺れるようになり自殺を考えるようになった。見かねた夫に「君は少しも成長していない」と言われ反論もできず精神的に落ち込む日々を送っていた。
 ある日、離婚して沖縄に帰ることを考えるが、子どもたちを自分のように父親のいない寂しい思いをさせるわけにはいかないと、子どもの幸福を優先。その時、今までのもんもんとした思いが一気に爆発し「このままでは駄目、自分を変えなければ」との思いがふつふつと湧いてきた。転機の瞬間だった。「死ぬのはそれからでも遅くない。信仰に懸けてみようと祈り始めた」と振り返る。
 それからは夫が驚くほど変わり、前向きに生きる力をみなぎらせた。そして夢にまで見た父との再会を果たす。異母妹弟が6人もいることが分かり、喜びでいっぱいになり、その妹や弟たちとの交流を始めた。子どもたちも自立。長女キャロルさんは39歳。現在父親の仕事を手伝っている。次女のメリンダさんは38歳。世界的に著名なコンピューターセキュリティー会社でITのセキュリティー部のマネジャーをしている。
 メリンダさんは19歳の時にシングルマザーになった。娘を育てるために働かねばならず、母親としても社会人としても中途半端な不安定な時、清美さんが仕事を辞めて孫娘の面倒を見た。メリンダさんは「家族の協力なしでは今の地位にいることもなく、母親として娘を育てることはできなかった」と話す。そして清美さんが全面的に助けたことに「一番支えてくれたのは母だった。大きな力だった」と加えた。
 その孫娘は大学生になり名門大学に通っている。沖縄で政府機関のIT関係の仕事をしている長男のシャーマンさんは35歳。南城市出身の元子さんと結婚し幸せな家庭を築いている。
 清美さんは「子どもたちが小さい時は精神状態が良くなかったため、あまりかまう余裕などなかった。反面教師だったために皆、素直に育ったのでは」と笑う。
 夫は13年前に軍を満期退職、経営管理コンサルタント会社を設立し実績を上げ、今では世界各国に社員を擁する信頼される会社に成長した。清美さんは「この世は不公平で差別だらけと思っていた。でも信仰が自分を助けてくれた。そして子どもの存在が大きな力になっていたと思う」と話す。最後に「夫婦の喜びは沖縄にいる孫娘2人に会いに行くことだ」と笑顔で語った。(鈴木多美子通信員)
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 米国人の夫と出会い、異文化の中で子育てをし、価値観の違いや苦労を乗り越えてきた県系人の母親の経験を描く。