コラム「南風」 清明


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 清明が近づいてきた。
 ご先祖様を供養するために、お墓に親族が集う。お供えするものは、重箱や果物やお菓子など。そして、それらをウサンデーして、わいわい食べながら親族とひと時を過ごす。

 先日、ある家庭ではウサンデーが残るともったいないから、ピザをお供えすると聞いてびっくりした。それには、若い世代が重箱や伝統菓子などを好まなくなってしまったのが関係するようだ。わが家はまだまだ重箱派だが、お菓子の方は一部現代化が進んでいる。昨年の清明は、ケーキをお供えしてウサンデーした。
 あの世に関わる行事は、われわれ生身(イチミ・生きている人)のためにあるのではなかろうかと、時々思う。そういえば、お盆に供える果物もマンゴーやドラゴンフルーツ、キウイなど横文字のものが増え、ウサンデーがかなりカラフルになってきた。
 ある家庭では、故人が好きだったコーヒーでウチャトーをするそうだ。入れたついでに自分も飲めるから一石二鳥なんだと話すその方は、決して面倒な様子がなく、楽しく朝のご先祖供養をしている、ように見えた。故人もきっと、あの世に逝かれてもコーヒー党のままだろうから、子孫の気遣いをうれしく思っているのではないか。
 そうした傾向に、眉をしかめる大先輩方もおられるだろう。しかし、伝統に固執するあまり、好きでもないものを供えて「明日もこれのアチラシケーサーか」と、家族が暗い気分になるよりも、ピザを供えて楽しく時間を過ごした方が、よっぽどご先祖様の供養になろう。
 重箱や伝統菓子が拝めなくなるのはとても寂しいが、必要に応じていくらか形を変えながらも、清明は今年もやってくる。伝統継承とは何か。本質的な「沖縄」を失わないでいたいものである。
(伊良波さゆき、役者)