忘れない妻との日々 闘病記録、冊子に


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 厚生労働省の特定疾患(難病)に指定されている大脳皮質基底核変性症(だいのうひしつきていかくへんせいしょう)により、2年前に長年連れ添った妻依子さん(享年71)を失った福里静夫さん(73)=那覇市=がこのほど、6年に及ぶ闘病生活をつづった冊子「妻の記録」をまとめた。

冊子には刻々と病状が悪化する中、懸命に生きる依子さんの姿や家族との日常風景が刻銘に記されている。福里さんは「妻の生きた証しを残したかった。依子はいつまでも私の心の中で生き続ける」と話し、最愛の妻を亡くした深い悲しみを乗り越えようとしている。
 依子さんは2005年に病気を発症した。この病気は筋肉が固縮して歩行などが困難になり、言葉が話せなくなるなどの症状が同時に起こる。現在も明確な治療法は確立されていない。
 「妻の記録」は「今日も一日妻の介護で疲れてしまう。しかし、妻も懸命に生きている」との書き出しで始まる。05年9月29日から日々変化する依子さんの様子、静夫さんの思いが淡々とつづられている。
 異変に気付いたのは03年の夏。歩行が遅くなり、車両事故を短期間に2回起こした。03年11月の初受診の時には原因は分からなかった。症状は次第に悪化し、数百メートルの距離でも何度も休憩を挟まないと行けなくなった。別の病院で再受診した時に病名が判明した。
 病状はさらに悪化し、福里さんは依子さんに語り掛けた。「お前は俺に死ぬまで仕事を与えてくれたな。今度は俺が尽くす番だ」。そして発症から6年後の11年12月23日、依子さんは4人の子どもと8人の孫に囲まれて、静かに息を引き取った。永遠の別れをこうつづった。「人間はいつか別れる時がくる。(中略)大事な人が亡くなっても忘れる必要はない。いつまでも心の中で生き続ける」
 2人が出会ったのは1959年。2年後に結婚し、4人の子宝にも恵まれた。
 「いかなることがあっても健康を守り(中略)、夫であるわたしが(十三回忌を)執り行う。これからは寂しくなるだろうが、そのうちわたしも逝く」。「妻の記録」は静夫さんの決意で締めくくられている。(吉田健一)

生前元気だった時の福里依子さん(左)と夫の静夫さん=2000年元日、那覇市首里赤田町の西来院(通称・達磨寺)
福里静夫さんが妻依子さんの闘病記録をまとめた「妻の記録」