震災の記憶 伝えたい 玉城さん、故郷の友に被災地案内


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フィナーレのカチャーシーで太鼓をたたいて踊る玉城宏二さん(左)=23日、岩手県滝沢市

 【岩手県滝沢市で大城和賀子】岩手県滝沢市に読谷村出身の玉城宏二さん(39)=会社員=が暮らしている。人口日本一の村になった村をPRするため、23日に行われた「読谷村琉球芸能団」公演に家族と駆け付けた。

盛岡市で東日本大震災を体験した玉城さんは、現在は沖縄の友人が岩手を訪れると被災地を案内する。玉城さんは「ニュースで見るのとは違う。月日がたてば生活は元に戻るが、震災の記憶を風化させたくない。沖縄の人たちにできるかぎり伝えたい」と語った。
 玉城さんは滝沢市出身の妻篤子さん(39)ら家族6人で公演に訪れ、フィナーレのカチャーシーでは座喜味棒保存会から手渡された太鼓をたたいて踊った。玉城さんは「滝沢と読谷の縁を感じる」と目を輝かせた。
 読谷高校野球部出身の玉城さんは8年前、岩手県内のクラブチームに入団するため岩手に移り住んだ。チームは翌年解散したが、家族と共に滝沢市に残った。
 盛岡市内の職場で震災を経験した。「長く強い揺れで、こんな地震は初めてだった」と振り返る。家族の安否が気がかりで家路を急いだが、停電で信号機が止まったため、普段は30分かかる道のりを、2時間かけて帰ったという。
 自宅は内陸にあるため津波被害は受けなかったが、壁にひびが入り、停電による凍結で給湯器が故障した。ガソリンを買うために数時間並ぶことも経験した。家族を亡くし、津波で家を流された友人がいる。
 あの日から間もなく3年。家族の生活は元に戻ったが、沖縄からの友人を乗せて車で沿岸部を走ると、いまだに再建が進まない地域を目の当たりにする。
 玉城さんは「沖縄の人たちにできるだけ伝えたい。岩手を、宮城を、福島を忘れないでほしい」と語った。