『ハワイに響くニッポンの歌』 大衆音楽史と日系の未来


社会
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『ハワイに響くニッポンの歌』中原ゆかり著 人文書院・2800円+税

 本書は、ハワイの日系社会における移民1世から今日に至るまでの大衆音楽の歴史について、主に2世へのインタビューを基にたどりつつ、考察を加えたものである。大工哲弘のCD「蓬莱行exo―PAIPATIROHMA」に納まる「ホレホレ節」は、日系移民1世がサトウキビ畑で作業をしながら歌った労働歌であることを本書で初めて知った。

 通読して強く印象に残ったのは、日系大衆音楽史のダイナミズムである。忘れ去られようとしていたホレホレ節は、2世のハリー・ウラタという人物の尽力で復活された。また、出身地のお国意識と結び付いて始まった盆踊りは、現在では「ハワイの日系だけ」という排他性はなく、民族・宗教に関係なく、観光客も含めて誰もが参加できる大イベントとしてハワイの夏の風物詩になっている。
 1980年代にカラオケが入ってくると、廃れかかっていた日本の歌が再び愛好されるようになり、さらに80年代半ばには、3世、4世による日本の太鼓音楽への取り組みが始まる、といった具合である。
 沖縄系移民も登場する。戦時中の日本音楽の禁止時代を経ての戦後に2世楽団が活躍する時期を迎えるが、2世楽団として最も活躍したハワイ松竹楽団の創設者は沖縄系2世のフランシス座波とマサジ・ウエハラであり、フランシスが作曲してハワイ日系の大ヒットとなった「別れの磯千鳥」は、後に日本でも近江俊郎、井上ひろしの歌でヒットしている。
 さらに、2000年頃から始まった日系社会での懐メロブームに大いに関係したのが那覇の懐メロ愛好会「花ことば」であったという事実も興味深い。
 ハワイ日系の音楽や芸能の世界では、人々は音楽、芸能に対する深い愛情でつながり、ことあるごとにお互いが協力関係を結ぶ状況がみられるが、それは移民以来のさまざまな経験の中で個人や集団間の考え方の違いを認める姿勢を体得しているからであり、それが日系社会の大きな財産になっているとの指摘には納得がいき、日系社会の明るい未来を垣間見た気がした。
 (赤嶺政信・琉球大学法文学部教授)
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 なかはら・ゆかり 1959年、長野県生まれ。総合研究大学院大学文化科学研究科博士課程修了。文学博士。愛媛大学法文学部教授。専門は文化人類学、民族音楽学。

ハワイに響くニッポンの歌: ホレホレ節から懐メロ・ブームまで
中原 ゆかり
人文書院
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