米軍の沖縄駐留、日本政府の意向 モンデール氏証言


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 【ワシントン=島袋良太本紙特派員】1995年の米海兵隊員による少女乱暴事件の発生を挟んで93~96年に駐日米大使を務めていたウォルター・モンデール氏(元副大統領)が、米国務省系の研究機関、外交研究・研修協会による外交史記録を目的とした退任後のインタビューで、事件に対する県民の大きな反発を受けて、当時米政府が在沖米軍の撤退や大幅な縮小を懸念していたと証言していたことが分かった。

一方、日本政府の対応に関しては「われわれが沖縄を追い出されることを望んでいなかった」と振り返り、在沖米軍を撤退させないよう米側に求めていたと明かしている。
 インタビューは2004年4月27日付で行われ、モンデール氏は事件について「県民の怒りは当然のもので、私もその怒りを共有していた」と語った。その上で「(事件から)数日のうちに米軍は沖縄から撤退すべきか、最低でもプレゼンス(存在)を大幅に減らすか、米兵事件に対する起訴に関して日本側に多くの権限を与えるようすべきかという議論に発展した」と述べ、沖縄側の要求に対して米側が大幅に譲歩せざるを得ないと認識していたと紹介した。
 一方で当時の「日本側の指導者たちとの非公式な会話」に言及し、「彼らはこの問題が挫折を招くことや、われわれが沖縄を追い出されることを望んでいなかった」と説明。日本側が沖縄への米軍駐留継続を求めていたと述懐している。
 事件から7カ月後の96年4月、日米両政府は普天間飛行場の全面返還で合意したが、県内での代替基地建設が条件とされた。