社会

銀店街振興組合が解散 沖縄市の屋台骨、62年で幕

人通りも少なく閑散とする現在の銀天街商店街=30日、沖縄市照屋

 【沖縄】戦後、沖縄市の発展をけん引してきた「沖縄市銀天街商店街振興組合」が、30日付で解散した。既存の商店街の法人組織の解散は、日本復帰後の県内で初めて。顧客の減少による売り上げの激減、組合員数の減少など時代の流れには逆らえなかった。

銀天街の前身となる「十字路市場」通り会の創立から数え、62年の長い歴史に幕を閉じた。
 銀天街商店街振興組合は26日に臨時総会を開き、解散を決めた。各店舗の営業は通常通り継続される。
 本年度に入って計38店舗の組合員のうち、約半数が赤字経営や売り上げの減少を理由に組合費の未払いが生じた。組合解散の是非を問うアンケートを6月に実施したところ、7割が解散に賛成。組合は、運営を支える組合費の回収を困難視して解散を決定した。
 島袋喜孝理事長は「時代の変遷で商店街から客が離れて売り上げが激減した。組合費の支払いが困難な店舗も多く、組織の存続が難しくなった」と話した。
 空き店舗が目立つ銀天街は新たな客層を取り込むため、組合の若者を中心に「銀天街まつり」や、生涯学習の場となる「銀天大学」を手掛けてきたが、今後の運営は決まってない。イベント時には一時的に客は集まるが、顧客の減少に歯止めがかからなかった。市商工振興課は「組合の解散で今後、客も離れ、空き店舗が増加してさらに衰退しないか心配だ」と懸念した。
 銀天街は前身の十字路市場(52年創立)、本町通り(同55年)が76年に合併して誕生。78年にアーケードが整備され、最盛期の70年代には125店舗あったが、現在は40店舗程度だという。

◆「一つの街 消えるよう」
 数軒のバラック小屋から始まり、市経済をけん引するまで発展した沖縄市の銀天街。沖縄市銀天街商店街振興組合の解散にあふれんばかりの客でにぎわった当時を知る店主や客からは落胆の声が上がった。
 銀天街は1978年にアーケードを整備した当時、近代的な商店街として人気を博し、祝祭日は夜中まで人があふれていた。
 商店街で50年以上、母親の代から婦人服店を営む仲村タカ子さん(75)は「県内でも珍しいアーケード通りに店を構えて誇らしかった。あんなに活気のあった商店街の組合が解散するのは寂しい」と肩を落とした。
 アーケードは老朽化や国道の拡幅工事のため、2001年に一部が撤去された。
 40年以上も化粧品店を営む崎浜清子さん(80)は「アーケードの撤去後は、なじみのお客さんもだいぶ少なくなった。1週間も物が売れない店もあると聞く。悲しいけど組合費も支払えない店もあるんだろう」と話した。
 結婚を機に市照屋に住み50年間通い続ける主婦の渡久地悦子さん(75)は「まだまだ商店街に通いたいので組合には頑張ってほしかった」と残念がった。
 銀天街まつりや銀天大学を仕掛けてきた組合青年部長の仲田健さん(51)は「商店街を盛り上げるため、若い人が一生懸命になって取り組んできたが売り上げには貢献できなかった。組合解散は一つの街が消えるようで寂しさを感じる」と視線を落とした。



琉球新報