宮古南静園で初調査 入所者の闘い聞く


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聞き取りに臨む宮古南静園の関係者(左)と最高裁の判事ら=23日、宮古島市平良の国立療養所宮古南静園

 【宮古島】ハンセン病患者の被告らが、裁判所ではなく国立療養所など外部に設置された「特別法廷」で事実上、非公開の審理を受けた問題で、最高裁は23日、国立療養所宮古南静園で元園長ら関係者4人から当時の司法手続きについて聞き取り調査をした。

特別法廷に関する調査としては全国初。同園では入所者の抵抗の結果、米統治下で全国に先駆けて裁判所内での裁判が行われており、その実態を調べた。出席者らは「(ハンセン病を理由に)被告以上の扱いを受けるべきではない」と語った。
 調査に訪れたのは最高裁の大須賀寛之総務局第一課長(判事)ら4人。聞き取りは非公開で行われた。
 南静園では、1960年の琉球立法院議員選挙をめぐり、松村憲一さん(故人)ら当時の入園者3人が選挙違反の疑いで摘発された。
 当初、裁判所は従来と同じように園内での裁判を主張したが、被告となった松村さんらが強く拒否したため、全国に先駆けて通常の裁判所で開かれた。当時、松村さんから通常法廷で裁判がしたいと相談を受けた元園長の伊志嶺亮さん(81)は、聞き取り終了後、43年に特効薬が開発されたことに触れ「ハンセン病は治る病気になっていた。いつまでも園内の特別法廷でやるのは道理に合わない。突破口をつくろうと彼から相談を受けた」と振り返った。
 宮古退所者の会の知念正勝代表(80)は「私たちもこの世に生を受けた人間。法の下の平等が守られないといけない。人が人として扱われる世の中をつくってほしい」と訴えた。
 松村さんらの裁判から50年以上、2001年に熊本地裁で国の隔離政策が違憲と判断されてから13年がたつ。伊志嶺さんは「松村さんが頑張って開けた扉が、やっと裁判所に届き、過去の過ちを検証しようとしている」と語った。
 聞き取り終了後、大須賀判事は「貴重な話を伺った。持ち帰って検証の参考にしたい」と語った。
 最高裁はハンセン病関係団体から、特別法廷での審理が「裁判の公開」を定めた憲法に違反するとして検証を求める要望を受け、ことし5月、特別法廷が違法な差別だったかを調べる調査委員会を設置した。
 最高裁によると、ハンセン病を理由にした特別法廷は48~72年に95件。一方、72年まで米統治下にあった沖縄の特別法廷は最高裁の権限が及ばず、ほとんどが検証の対象外となっている。最高裁は県外の特別法廷を検証する資料として聞き取りした。24日は熊本県の菊池恵楓園などで聞き取りする。