60年代、親米派も監視 米陸軍CIC、琉球の共産化警戒


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 沖縄県祖国復帰協議会(復帰協)が結成されるなど復帰運動が高揚した1960年代の沖縄で、反米的な活動を防ぐため、政治活動や大衆運動に関わる住民を監視対象にして諜報活動(防諜(ぼうちょう))などをしていた米陸軍対敵諜報隊(CIC)の実態について、元所属兵らが琉球新報の取材に応じ、当時の詳細な活動を初めて証言した。

応じたのは沖縄に駐留していたCIC526分遣隊の元米兵、西岡康成スタンリーさん(88)=ハワイ州=と儀間昇さん(87)=宜野湾市=の2人。西岡さんは「(米軍が共産主義とみなした)人民党だけでなく、親米的な政党や企業も総ざらいに資金の流れなどを調べた」と答え、当時の米軍が反米活動家だけでなく住民全体に疑いの目を向け、監視対策していたことを明らかにした。
 尾行や尋問を受けたという監視対象者の証言は報道などで知られるが、防諜活動に携わった当事者の実名の証言はほとんどない。
 2人は共にハワイ移民の2世で、当時は1等軍曹。西岡さんは62~66年、儀間さんは58~64年、沖縄に駐留した。62年のキューバ危機で東西冷戦の緊張が高まった一方、沖縄では米軍が沖縄と日本の隔離政策などを徹底した時期だった。
 証言によると、CIC526分遣隊は約30人が所属し、うち防諜活動に当たるエージェント(諜報員)は約15人で本島内を中心に活動した。諜報員は政治や経済、労働組合など情報収集の対象で各班に分かれた。
 西岡さんも諜報員として政治、経済を担当。「(国場組創業者の)国場幸太郎さんや当時の那覇市長だった西銘順治さんと親交を持った」と証言した。監視対象者の尋問もしたという。
 政党の資金源を確認するため政党の収支、政治資金も調べた。「表向きは親米的でも、裏で人民党の協力者であることも想定し、銀行口座や税務署などで調べた。公的資金が共産主義へ流れることも警戒し、公共事業の受注企業も対象だった」と明かした。
 本部は60年代、当時の在那覇米国領事館(現在の陸上自衛隊那覇駐屯地内)の近くにあった。西岡さんと渉外官の儀間さんは那覇市東町の事務所を拠点に活動。西岡さんは「任務は治安を守るためだ。住民をいたずらに処罰することはなかった」と語った。
 県文化振興会の仲本和彦公文書主任専門員は「米軍統治下時代の沖縄に関する米軍の公文書で、直接行動していた諜報員の名前は記されていない。彼らの身を守れないとオペレーション自体が成り立たなくなるからだ。実名の証言は貴重だ」と語った。(島袋貞治、梅田正覚、島袋良太)