【交差点】沖縄の母へ


社会
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 沖縄を出てから本当に早いもので15年が過ぎた。その間、母へは時折、プレゼントを贈るだけで、大した親孝行もしていない。本当に申し訳ない気持ちでいっぱいである。私は自分を猛烈ビジネスマンだと自画自賛しているが、これは、母譲りだと思っている。
 母は母の世代では珍しく職を持っていた。今でも毎日、母が仕事帰りにスーパーに立ち寄り、両手いっぱいに晩ご飯の材料を持ち、重たそうに帰宅してくる姿が目に浮かぶ。帰宅してから休む暇もなく、食事の準備、片付け、洗濯物、アイロンかけ、翌朝は朝ご飯の準備から父や兄弟の弁当の支度までして、職場に向かっていた。本当にあきれるほどの働き者である。
 退職した今は、職場に行く代わりにカラオケ、水泳、ピアノにまで手を出し、悠々自適の生活であるが、朝と夜の生活は今も変わらず家族の面倒を見て精力的に動き回っている。私が、母の年になって同じことをやれと言われても到底無理だと思う。すごい体力の一言である。
 今、海外で暮らし、どこを見回しても、母のように仕事を持ちながらメードなしで、こんなにも家庭の面倒を見ることができる女性はどこにもいない。母の偉大さが身に染みる。
 沖縄にいたら、こんなことは恥ずかしくて言えないが、海外で暮らして自然に言えるようになった。お母さん「I Love you」本当にありがとう。「Happy Mothers day」いつまでも猛烈なお母さんでいてください。
 (遠山光一郎、シンガポール現地法人社長)