米国防総省、1968年に普天間閉鎖検討


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 米国防総省が1968年12月に策定した在日米軍の再編計画で、普天間飛行場の閉鎖を含めた海兵隊の大幅な削減を検討していたことが米公文書で明らかになった。

朝鮮半島有事の際、海兵隊の航空機は到着まで数日かかるため決定的な役割を果たせないことなどを理由に挙げていた。だが海兵隊の削減案に当時のチェイフィー海軍長官が抵抗。69年9月には、首都圏の米軍基地を整理縮小するため、神奈川県の厚木基地所属のヘリコプターを普天間に移駐するなどの計画に修正され、普天間閉鎖は立ち消えになった。
 クリフォード国防長官(当時)が統合参謀本部や各軍トップに宛てた内部文書を、川名晋史近畿大講師(35)が入手し、昨年12月に学会誌「国際安全保障」に論文を寄稿した。
 計画では(1)普天間飛行場を閉鎖(2)第26連隊上陸団を米本土へ移転(3)海兵隊司令部と第3海兵補給群(牧港)の機能を陸軍第2補給部隊に統合―と打ち出し、在沖海兵隊の規模を縮小して基地の大部分は「維持管理状態に置く」としていた。
 朝鮮半島有事に関しては、海兵隊の航空機部隊について「最初の数日間に生じる航空支援要請は、前方展開しているおよそ200の空軍戦闘機で満たされる」と指摘。半島有事の初期段階で制空阻止を目的とするならば「海兵隊よりもむしろ空軍の方が空対空の戦闘に適している」と報告し、普天間の閉鎖や、海兵隊岩国基地(山口県)を分散作戦基地に格下げする方針などを示した。
 牧港補給地区の第3海兵兵站(へいたん)群については、68年の段階では米本土からベトナムへの補給ラインが十分に整備されていたため「財政的かつ組織的に非効率」と指摘していた。

米国防総省が普天間飛行場の閉鎖を計画した1968年12月の内部文書(川名晋史氏提供)
川名 晋史氏