「もっと生きたかった」 宮森小事故、劇で再現


社会
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米軍の戦闘機が墜落して、教師や子どもたちが混乱する場面=22日、うるま市立石川中学校

 【うるま】1959年6月30日に石川市(現うるま市石川)の宮森小学校や住宅地に米軍戦闘機が墜落した事故を再現する劇「ひまわりの咲く頃に」の公演が22日、うるま市立石川中学校(石川昌二校長)であった。

全校生徒を前に、市内の小中高校生の劇団「石川ひまわりキッズシアター」が演じた。鑑賞した生徒は「沖縄戦や宮森の事故を伝えていきたい」と話した。
 劇には沖縄戦を生き延びた人々を芸で励ました小那覇舞天が登場した。戦闘機墜落事故に居合わせた米軍の従軍記者、宮森小の子どもたちを中心に、事故を再現する内容。事故の犠牲者を祭る仲よし地蔵など、劇団の保護者らも協力して作った舞台セットや、地域の高校生や大人が生バンドで出演した。
 戦後の沖縄に駐留する米軍の記者が「沖縄は本当に平和になったのか」と問うた後の戦闘機墜落の場面では、逃げ回る子どもたちが演じられた。
 事故の犠牲になった小学生が「なぜ飛行機は落ちたの? なぜ学校に落ちたの? もっともっと生きたかったのに」と訴えた。公演を見たノーブル大志さん(14)=3年=は「宮森小を卒業したが、(劇で)事故の悲惨さをあらためて知った」と話した。