普天間飛行場:米軍が住民排除戦前は村役場も


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 【宜野湾】宜野湾市内13区にまたがる米軍普天間飛行場は沖縄戦で1945年4月に本島に上陸した米軍が住民を強制排除し、占拠した。同月下旬に本土決戦に備え、滑走路建設が始められた。

 現在の飛行場施設内には宜野湾村役場(当時)や住居、畑、馬場、国の天然記念物に戦前指定されていた「宜野湾並松」などがあり、住民の生活風景が米軍によって奪われた。
 米軍は土地接収後、居住していた住民を野嵩収容所などに送り、立ち入りを禁止した。宜野湾市史によると、住民は46年9月に出された宜野湾村嘉数への帰村許可を皮切りに、沖縄戦前に居住していた地域に帰ることが許された。だが、現在の飛行場区域内で暮らしていた人々は帰ることが許されず、周辺への居住を余儀なくされた。神山、中原、新城、宜野湾などの地域ではいまでも多くの土地が接収されたままだ。
 また百田尚樹氏が取り上げた普天間飛行場の騒音訴訟で、那覇地裁沖縄支部は(1)騒音の特質から騒音実態を把握することは容易でない(2)地元回帰意識の強さや地理や交通、住宅事情を考慮するとやむなく住み始めた人が相当数いる(3)騒音はいずれ解消されると合理的な見通しで住み始めた人が相当数いる-との判決を下している。基地周辺に「選んで住んだ」との指摘は当てはまらない。