<メディア時評・特定秘密 国会初報告>隠蔽の監視は困難 過剰指定 歯止めならず

 ほぼ半年前、特定秘密保護法が施行され、6月22日に初めての報告書(特定秘密の指定及びその解除並びに適性評価の実施の状況に関する報告)が閣議決定され、国会に報告された。同法19条の法定義務に基づくものであるが、A4判でわずか10ページほどのものである(別表を含めても20ページに満たない)。

 2014年中の実施状況報告のため、対象期間は1カ月足らずであり、そのため指定解除や廃棄についての報告がなかったほか、適性評価の実施や内部通報の実績についても、記載はゼロであった。ちなみに書かれていることの中心は、382件の特定秘密の指定が行われたということである。
 ではこの報告書で何が分かったのかといえば、予想通りとはいえ「何も分からない」ことが分かった、というのが皮肉ではあるが真相だ。あるいは、「国会報告だけでは過剰な秘密指定の歯止めにもならない」ということだ。

過半が警察情報
 とはいうものの、問題点があらためて浮き彫りになったということはいえる。最も件数が多かったのは防衛省で全体の約65%を占めた。ただし、そのほぼすべては旧防衛秘密で、法の規定により自動的に特定秘密に横滑りしたものであり、新たな指定は1件であった。そうすると、事実上の最多は内閣官房の49件となる。そしてこれはすべて内閣情報調査室(内調)にかかわる情報であり、この組織の実態は「警備・公安警察」であることから、警察庁の18件、公安調査庁の10件を加えると、実に77件にのぼり、新規指定件数の過半が警察関連情報であることが分かる。
 さらにいえば、法制定前の国会答弁の段階から、秘密保護の対象のほとんどは、衛星で収集した情報や暗号情報と言っていたことと符合するが、全体の3分の1にあたる113件がこの種の情報である。そしてこうした情報収集衛星の情報(衛星画像関係情報)は、中心となる内調(内閣官房)から、経済産業省、海上保安庁、公安調査庁、外務省、警察庁と、各省庁に提供され、重複される形で秘密指定されている。
 これらの数字は、そもそも今回の法整備にあたって中心的役割を担ったのが内調であることを思い起こすと合点がいく。なぜなら、1980年代半ばに国会上程までしながら廃案となった「スパイ防止法」の苦い過去を持つ警察組織にとって、この分野の情報を「合法的」に絶対秘として市民の目から隠す法制度を持つことは、まさに〈悲願〉であったからである。こうして、警備・公安警察の諜報(ちょうほう)活動の実態を隠蔽(いんぺい)する仕組みとして特定秘密保護法が機能し始めたことを、如実に物語っているといえる。
 いまでさえ、その活動の多くがベールに隠されている内調の活動は、諜報活動そのものであって、警察組織内の公安活動と相俟(あいま)って、いわば市民監視の中身が特定秘密として未来永劫(えいごう)隠される可能性が高まったということになる(なお、報告書では内調の情報は「外交関連」に分類されているが、中身は情報収集衛星や外国政府との諜報活動協力情報であって、テロ・スパイ関連に分類してもおかしくない内容であるといえる)。
 これは特定秘密法の大きな特徴を表すものであるといえるだろう。なぜなら、同法の対象は、防衛(安全保障)、外交、テロリズム防止、スパイ(特定有害)活動防止の4分野であり、後者2つは紛れもなく警察組織が所管する対象であるということになる。しかも先に述べたことから推察されるように、防衛分野の秘密は、すでに以前の自衛隊法によって防衛秘密として保護されていたものであって、新しく秘密保護法を作る意味合いはなかったことが、数字から明らかになったわけだ。

「解釈」で闇の中へ
 また今回の報告であらためて明らかになったことは、秘密指定件数は分かっても、「特定秘密文書」が直接は見えてこないという点である。報告書では、法的義務はないもののいわば行政サービスとして、文書件数についても発表を行っている(法が定めているのは「情報」としての特定秘密を指定することであって、行政文書の指定ではない)。そしてここにちょっとしたカラクリがあって、情報としての「特定秘密を含む」とする言葉の裏で、「解釈」によって必要以上の文書が「特定秘密が記録された行政文書」として分類され、闇の中に消えていくという構図である。この恣意(しい)性こそがチェックの対象であるべきだが、現在もうけられている「監視機関」にそうした能力と指向があるかは覚束(おぼつか)ない。
 また、先に示したように、今回発表の秘密情報の多くは衛星画像情報であったが、秘密文書の中身については、具体的にどのような内容の文書が多いのかは分からない。なぜなら、情報分類上の件数としては1件でも、文書は1000件かも知れず、必ずしも情報と文書の件数は比例していない可能性があるからだ。したがって、「秘密のほとんどは衛星」という政府説明は、一面で事実ではあるが、内実をカムフラージュしている可能性を否定できない。むしろ、そこに紛れているものにこそ、政府が本当に隠したい文書(情報)があるとみるべきであろう。
 すでに運用が始まっているという現実を前に、最低限、監視機関が真っ当に機能することを、私たちが監視するしかないのだが、やはり根本は法の基本構造の危うさや問題性である。さらに言えば、必要性の希薄さだ。本欄で前回触れた通信傍受法改正といった、秘密保護法をより効果的に運用するための法整備が着実に進む状況は、ますます市民監視を含む公安国家の色彩を強くするもので、そうした社会制度が本当に必要なのか問い続けていく必要がある。
 (山田健太、専修大学教授・言論法)
(第2土曜日掲載)