父の思い出、語り合う うるまの冨里さん、比残留の姉と初対面


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比国の異母きょうだいの姉に初対面した冨里利雄さん(右)=12日、リサール州

 【うるま】戦後、父と生き別れとなり、フィリピンに残留した冨里ゼナイダスミコさん(74)=リサール州=と、異母きょうだいで、弟に当たる冨里利雄さん(67)=うるま市勝連平敷屋=が12日、比国のリサール州で初対面した。

互いの父である冨里清繁さん=1996年死去=の写真や映像を利雄さんが届け、ゼナイダさんは生前の父の姿を見詰めた。
 同行した日本財団の宇田川貴康さんによれば、利雄さんはゼナイダ家の玄関で抱擁して対面。清繁さんの写真を見ながら、これまでの思いや家族のことを話していたという。
 ゼナイダさんは「本当に遠くから、私に会うために来てくれたんですね。本当にうれしい。とても幸せ」と感激の様子だったという。利雄さんは「本当にうれしい。そしてとにかく安心した。おやじのことを許してくれていた」と話した。
 利雄さんらによると、清繁さんは35年に知人らと事業をするためフィリピンへ渡り、カマリネスノルテ州ダエット町で商売をしていた。38年4月に寺田アントニアさんと結婚し、ゼナイダさんが生まれたという。清繁さんは戦争で召集され、混乱の中、生き別れになったという。寺田アントニアさんは45年に亡くなった。
 初対面は、国籍がなかったゼナイダさんが、フィリピン日系人リーガルサポートセンターや日本財団の協力を得て就籍を東京家裁に申し立て、報道されたのがきっかけとなった。報道記事に利雄さんの妻春枝さんが気付き、同センターに問い合わせたことで両者のつながりが明らかになった。