代理署名拒否から20年 県と国、対立構図変わらず


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 地主が契約を拒んだ米軍用地について、1995年に当時の大田昌秀知事が強制使用手続きに関する代理署名の拒否を表明してから28日で20年が経過した。機関委任事務について初めて国が県を訴える事態に発展した。

 翌96年、最高裁は知事の署名拒否について「著しく公益を害することは明らかだ」と結論付け、県の上告を棄却し、県側の敗訴となった。
 当時、大田氏は最高裁判決を前に「いや応なしに歴史の審判を受けざるを得ない」「日本の民主主義の成熟度が、今回の裁判を通して問われるのではないか」などと指摘していた。
 あれから20年。当時の知事の立場は現県政が新基地建設の阻止を掲げて国と対立する姿と重なる。
 95年9月、米兵による暴行事件が発生し、県民世論に怒りが渦巻いたことを受け止める形で、大田知事は同月28日の県議会代表質問で、地主に代わって土地調書・物件調書への署名・押印を行う国の機関委任事務を拒否することを表明した。
 政府は同年11月22日、地方自治法に基づき署名を勧告する。
 同月29日に職務執行命令を出すが、県はいずれも拒否し、12月7日、村山富市首相(当時)が大田知事を訴えるという前代未聞の職務命令訴訟が福岡高裁那覇支部に提起された。96年3月25日の高裁判決は国側が勝訴した。橋本龍太郎首相(同)が同29日に代理署名を代執行する。最高裁は8月28日に上告を棄却し、県側の敗訴が確定した。
 軍用地の使用権原の新たな期限切れに対応するため、国は97年4月に米軍用地特別措置法を改正し、県収用委員会が審理中などの場合には軍用地の暫定使用を認め、裁決が却下されても不服審査請求を行う場合は暫定使用を可能にした。