安保法成立と国会前反対デモ 抗議の声に込められたものとは


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安保関連法案の成立に抗議するため、国会前に集まった人たち=9月19日夜

 9月19日未明に成立し、新聞各紙一面の大見出しとなった「安保法成立」。あなたはこの出来事をどう感じただろうか。ようやく日本が自立する一歩を踏み出したと思ったか、戦後70年の平和が根本から崩れたように感じたか。いずれにしても、合憲違憲論争や法律自体の中身、答弁で「戦争を抑止する」というときの“戦争”と「戦争法案反対」のシュプレヒコールに使われる“戦争”との、言葉の意味の食い違いなど、本来ならば整理されてしかるべき事柄が、つまりは人々の不安や疑問が、数多く置き去りにされてしまった感は否めない。それもあってか、連日ニュースなどで取り上げられた、芸能人や知識人を巻き込んだ国会前の安保法反対デモの様子が目に焼き付いているのは私だけではないと思う。

 若者の参加者が目立ち、大きくふくれあがったデモ。核となる人はいても主導者はおらず、連日連夜続いていた。テレビで見た参加者へのインタビューによれば「この光景を見ておきたい」という人から「居ても立ってもいられない」という人までおり、左右両極の老若男女分け隔てなく集まっている印象だった。実際に参加した私の友人によると、一部の路上では宗教的な活動や、政党色を色濃く出した運動もあったようだが、多くの人はその両者を遠ざけ、一点共闘の共同戦線といった具合だったという。
 そもそもなぜこのようなデモが、近年の日本で行われるようになったのか。きっかけは2011年の東日本大震災である。原発に対する不安や不信から、反対運動や若者による反対デモが活発化、やがて共同戦線が全国各地に波及して、国会前を再稼働に反対する人々で埋め尽くした。その流れが反ヘイトスピーチ、特定秘密保護法反対へと続き、今回の安保法反対へとつながっている。
 こうしたデモは新たな動きであるがために、旧来の言説の中に回収し尽くされず、正確にその意義・特徴を説明できない。その証左に、このデモについてのメディアでの評され方が、「その声が立法に届いていない、だからデモに有効性はない」もしくはその亜流、「若者の政治的関心を惹起した」というもはや時代遅れのものばかりだったことから明らかである。何が彼ら彼女らをそこまで必死にさせ、どのような空気感で、誰のために、何を賭して叫び続けたのかは、聞かれないままである。
 国民の“代弁/表象者”たるメディアでこの状態ならば、権力者である国会議員に届くとは思えない。
 2012年、官邸周辺で繰り広げられた関西電力大飯原発の再稼働に反対する抗議行動の声を聞いた、当時の野田佳彦首相は「大きな音だね」と言ったという。安保法反対デモの声を聞いた安倍晋三首相はというと、成立後にごくごく短時間の記者会見。同日午後には山梨県の別荘に出掛けた。もしかしたら、音すら聞こえなかったのではと勘ぐりたくなる。
 一方で、映像に映し出されたデモ参加者の、祈りにも似た感情がこだました国会前。創価学会の三色旗を高々と掲げて反対する人、安保法成立直後から「(次の)選挙に行こうよ」と声を上げる人。夜通し撤回を求めた人。一夜明けた後に駆けつけて反対デモの継続を呼び掛けた人…。そこにあったものは、果たして何だっただろうか。
 考えるヒントはいつの世も、芸術や文学、学問といった文化の中にある。たとえば、『自選 谷川俊太郎詩集』(岩波書店)の中の「平和」と題された詩の一部を引いてみよう。
 詩の中で「平和」は、「あたりまえなもの」「退屈なもの」「素気ないもの」とうたわれる。その上で、つまりは「花ではなく花を育てる土」「歌ではなく生きた唇」「旗ではなく汚れた下着」「絵ではなく古い額縁」なのだとかみ砕かれ、最後にこう述べられる。

  平和を踏んづけ
  平和を使いこなし
  手に入れねばならぬ希望がある
  平和と戦い
  平和にうち勝って
  手に入れねばならぬ喜びがある

 さて、あなたはこの出来事をどう感じただろうか。(川村敦・共同通信記者)
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川村敦のプロフィル
 かわむら・あつし 2011年入社の27歳。宇都宮支局、静岡新聞社への出向、静岡支局を経て、15年春から文化部放送担当としてテレビやラジオの話題などを取材。安保法をめぐっては、ふだん政治的な発言を避ける芸能人や文化人の声も目立ち、当然のことだけれども、お金持ちでも8頭身でも誰でも、同じ日本に住んで同じことに頭を悩ませる、同じ人間なんだなと思いました。
(共同通信)