【島人の目】現地邦字紙の歴史と背景


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 アルゼンチンで現在、唯一の日本語で書かれた新聞は「らぷらた報知」だ。現在週2回、800部を発行し、大きさはタブロイド判8ページ。週に1回はスペイン語版4ページと同時に発行する縦の日本スタイルの新聞だ。

南米各国には100年以上の日本人移住の歴史があり、その時々に役割は違うが邦字紙として日本の現状を伝え、移住社会の回覧版の役割、日系社会のオピニオンリーダーでもあった。読売、毎日、朝日、日本経済、産経など各紙の記事が寄せ集められ、地方紙では琉球新報と沖縄タイムスの記事も載せている。
らぷらた報知は1947年、23人の沖縄県系の株主が設立し、48年1月17日に第1号が発行した。敗戦後日本の、ひいては故郷沖縄の各地の事情を伝えることが第一の使命だった。在亜邦人のニュースのほか、現地アルゼンチンのニュースを日本語で理解するために必要不可欠な媒体となった。
しかしながら、70年以降に日本経済が発展するにつれ日本からの移民は減少し、日系社会の世代交代が進み、家庭内で日本語を使わなくなった。80年代には経済的な理由による日本への出稼ぎ増加の影響から、日系人の日本語話者の数も年々減少していった。91年には内地系の現地邦字紙「亜国日報」(1947年7月25日創刊)が廃刊となった。そして2014年末にはとうとう、らぷらた報知日本語担当の崎原朝一さんと、50年勤めて最後に残っていた高木一臣さんが(それぞれ80歳と89歳で)他界した。
アルゼンチンの大部分の日系社会構成民にとっては、母県の新聞の存在は大変貴重だ。一方でメキシコの日本企業参入ブームに乗り、日本語のフリーペーパーが出てきている。ただ実際私たち南米の日系社会の状況とは関係がない。その違いを書いていると、日本語新聞と邦字新聞の違いが分からない新聞記者が日本から来訪するようになったと嘆いていた高木一臣さんを思い出した。
(大城リカルド、アルゼンチン通信員)