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交通変更30年 「安全」考える機にしたい2008年7月30日 
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 1978年7月30日に県内の交通方法が右側通行から左側通行に切り替わってから、きょうで満30年を迎えた。振り返れば、一夜にして右から左に変更したのだから、ただ驚嘆するしかない。
 切り替え直後は誤って右側を走るドライバーが後を絶たず、多くの混乱を引き起こした。今では左側通行が完全に定着し、30年前までは右側を通っていたことを知らない世代も増えている。
 「ナナサンマル」は、交通革命と言ってもいい、世界でもまれに見る大事業だった。正しく後世に伝えていく必要がある。
 「人は左、車は右」。沖縄では戦後の米軍施政下の時代から本土とは逆の交通方法が取られていた。日本も締約国となっている「道路交通に関する条約」は「同一方向に進行する車両は、道路の同一の側を通行するものとし、その通行する側は、それぞれの国においてすべての道路について統一されていなければならない」と定めている。72年の復帰後、数年間は過度的な措置として右側通行が続いたわけだ。
 県民の中には、交通事故が多発する恐れがある、世界の大勢が右側通行である、離島県なので本土と統一しなくても支障がない、などと反対する意見もあった。うなずける点はあるが、もしも現在まで右側通行のままだったらどうなっていたか。
 「人は左、車は右」に慣れ親しんだ県民は、県外では危なくて運転できないだろう。沖縄では、観光客が運転するレンタカーによる事故が多発していたに違いない。 結果的に沖縄と他府県の間に壁をつくり、人の行き来を妨げる一因となった可能性がある。
 国内で唯一の右側通行県であることが観光客を呼び込む目玉の一つになったかもしれないが、県民の安全を守るという観点からは明らかにマイナスの方が大きい。
 ナナサンマル当時、標識カバーを考案するなどしてスムーズな切り替えを図った関係者の努力も忘れてはならない。今回の節目を交通体系や交通の安全などに思いをめぐらす機会につなげたい。


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