銀メダルを首にかけられた直後に涙が込み上げてきた上与那原寛和選手=17日、北京市の国家体育場
【北京17日深沢友紀】見続けていた夢がついにかなった。上与那原寛和選手(37)は表彰台の上で首に銀メダルをかけてもらった途端、込み上げてくる涙を抑えられなかった。交通事故でまひの残る右手でメダルをつかむと「このメダルはみんなの思いが詰まった背中と腕で勝ち取った。家族や支えてくれたたくさんの人との約束が果たせた」と喜びをかみしめた。
上与那原選手は28歳の時のバイク事故で頸椎(けいつい)を損傷し、両手両足がまひした。8カ月入院し、職も失い、妻・みさおさんと息子2人の生活も一変した。
2003年、リハビリの一環で始めたのが陸上だった。それまで部活もしたことがなかった上与那原選手だが、自己記録と戦い続けるうちにハーフマラソン日本記録も更新し、気が付けば日本の頂点にいた。
競技を始めて5年。順調に見えた彼の競技人生だが、最大の難関は北京入り後に待ち受けていた。今月2日、国際パラリンピック委員会の検査で一つ障害の程度が軽い「T53」と判定された。出場も危ぶまれる事態に「ここまで来てどうして」。昨年8月に仕事も辞め、家族や親せきに支えてもらいながらこの1年間パラリンピックだけに懸けてきた。上与那原選手は「殴られたような感じだった」と心を激しく揺さぶられた。開会式の前日の再検査で「T52」のまま出場できることになったが一度落ちた気持ちは戻らなかった。
最初の種目は10日の200メートル決勝。自己新記録で6位に入賞したものの「調子が出ない」。400メートル、800メートルでは同じT52の伊藤智也選手(45)=三重、高田稔浩選手(42)=福井=と日本人で表彰台を独占する約束が果たせず、6位と4位。「どんどん苦しくなってきた」と振り返る。
最終種目のマラソンは「両肩に100トンぐらいの重みを感じていた」プレッシャーの中でのスタートだった。沖縄で応援してくれているみんなの期待ものしかかっていた。だがレース中、力になったのもみんなの思いだった。背中と両腕の力を振り絞りながら車いすをこぎ続けた。
金にはわずか3秒及ばなかったが堂々の銀メダル。「生活のこともあるから4年後(のパラリンピック)はまだ考えられない」というが「やっぱりマラソンを走り終わった後の充実感は最高に気持ちいい」と話し、競技をやめる気はない。いつか金、そして世界記録保持者へ。夢はまだ始まったばかりだ。
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