戦後64年目に荒崎海岸で見つかった県立第一高等女学校の校章
一高女の校章について語り合う本村さん(左)、島袋さん(右)、石川さん(中央)=9日、糸満市のひめゆり平和祈念資料館
沖縄戦時に陸軍病院などで看護活動に当たり、多くが戦場で命を落とした「ひめゆり学徒隊」を構成する県立第一高等女学校(一高女)の生徒の物とみられる校章がこのほど、糸満市の荒崎海岸で見つかった。校章は生徒が制服に着けていたもので、同校の生徒ら計10人が「集団自決」(強制集団死)した場所で発見されており、亡くなった生徒の物とみられる。戦後64年目に校章が出てきたことに関係者らからは「これからも戦争の事実を伝えてほしいとのメッセージだ」「沖縄戦を継承する上で重要な物証」との声が上がっている。
校章は沖縄戦遺骨収集ボランティア・ガマフヤー代表の具志堅隆松さん(54)=那覇市=が昨年12月31日、荒崎海岸で遺骨収集作業をした際に「集団自決」があった場所の岩陰から発見。ひし形で、砲弾の破片のように見えたが、こすると「高女」の字と白ユリ、葉を確認した。校章はその後、ひめゆり平和祈念資料館に届けられた。
1945年6月18日、戦況の悪化で南風原の陸軍病院から南部へ撤退し伊原周辺の壕にいたひめゆり学徒隊には解散命令が出され、その後、一高女の生徒らが荒崎海岸に追い詰められた。同21日、米兵の銃撃の乱射を受ける中、一高女の教師1人と生徒7人、卒業生1人、県立第二高等女学校の生徒1人が手りゅう弾で命を絶った。
同場所では終戦直後に遺族らが遺骨収集したが、その後は遺骨や遺物収集などはされていなかった。
当時、荒崎海岸にいて、そばで学友を失った元一高女生徒の宮城喜久子さん(80)=那覇市=は、校章の見つかった場所が「集団自決」の現場だと確認した。「(亡くなる)前の日、みんなで自決するつもりで家族の写真などが入った救急かばんを捨てた。その時、生徒の1人が校章を取って持っていたのかもしれない」と振り返る。「自分の学校に誇りを持っていた。学校や家族に対する深い思いを持って死んでいったんだね」と話した。
ひめゆり平和祈念資料館館長で県女師・一高女ひめゆり同窓会理事の本村つるさん(83)や同会の石川幸子(83)さん、島袋淑子さん(80)が9日、同館で校章について語った。本村さんは「校章はみんなが一番大事にしていた。一高女の生徒として誇りを持ち、亡くなる時に抱き締めていたのかもしれない」と思いやった。
具志堅さんは「ひめゆり学徒隊の話はよく知られているが、その物証で、沖縄戦を正確に継承するためにも重要だ」と話した。(内間健友)
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