沖縄にとって忘れられない、忘れてはならない日がある。きょう、28日もその一つ。
敗戦から6年8カ月、1952(昭和27)年4月28日、対日講和条約(サンフランシスコ平和条約)が発効した。条約は51年9月8日、サンフランシスコ会議で日本と旧連合国48カ国が調印、外国軍隊の駐留継続を許容した。
「4・28」は日本にとって、連合国による占領からの独立だった。しかし、米軍の日本駐留を認める日米安全保障条約(旧安保条約)も同時に発効したため、沖縄、奄美、大東を含む南西諸島は、日本から切り離され、米国統治下となり、異民族支配が始まった。
日本の独立が認められる一方で、沖縄は、事実上の自治を奪われ、「屈辱の日」となった。
1952年から60年代にかけて、日本全体の米軍基地は25%程度に減少した。その一方で、沖縄の米軍基地は倍増、さらに国内全体の基地減少に伴い、沖縄への負担は増加し、現在は日本国内の約75%が沖縄に存在する。
住宅地域の真ん中にあり、米国高官さえ危険性を指摘した米軍普天間飛行場は、日米両政府が名護市辺野古沖への県内移設を合意。環境影響評価(アセスメント)の準備書を沖縄防衛局が提出した。それに対する環境問題を主眼にした知事意見が焦点になっている。
県や地元自治体は、日米合意案に対し、沖合への移動を求めているが、県民の中には、一層の基地負担の軽減を求め、県内移設そのものへの反対が根強い。
講和条約発効による米国統治下での種々の人権蹂躙(じゅうりん)に対して住民は憤り、祖国復帰を訴える大きなうねりとなった。ようやく果たした復帰だったが、戦闘機の爆音や兵士に絡む事件事故など基地被害にあえぐ県民にとって平和憲法の下への復帰は、37年たつ今でも実現しているとは言い難い。
沖縄が味わった屈辱は、自治権に対する県民の見識を高める大きな一歩につながった。その切実な思いを今も持ち続けているだろうか。
「4・28」を知らない若い世代が増えている。筆舌に尽くし難い沖縄戦を経て、母国から切り離され、主権を奪われた57年前のきょうを決して風化させてはいけない。沖縄の真の平和と自立を考え、求める日なのだから。
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